しかし安倍首相は、もう一つの理由によっても、北京での行事に簡単に出席するわけにはいかなくなる可能性もある。中国は、安倍首相が8月15日の談話で何を言うか待ち構えている。1945年のこの日は、日本が無条件降伏した日で、日本では終戦記念日とされている。
「日本は罪の重荷を背負っている。この重荷から自分達を解放できるかどうかは、完全に日本次第だ。歴史を直視する事だけが、この重荷をおろすのを可能にし、未来に目を向けるのを助け、相互信頼の確立を促すと考える。」
もし安部首相が、第二次世界大戦時にアジアの諸民族に日本がもたらした苦しみに対し、単なる「深い反省」という表現を使うならば、中国側は、これを誠意あるものとは受け取らないだろう。ロシア極東研究所日本調査センターのウラジーミル・グリニューク主任研究員は「この事は、中国人にとって、心理的に非常に重要なのだ」と指摘し、次のように続けた-
「日本社会には、先の大戦中、日本がアジアの諸民族にもたらした不幸の数々に対し、ある程度、歴史的罪の自覚がある。しかし、日本の立場とドイツの立場を比較すると、ドイツはナチズムの犯罪の真剣な再確認を行っているが、今の日本の主要な政治家達は、前の首相達、とりわけ村山首相の歴史認識に変更を加える事に賛成する向きがあるようだ。村山氏は1995年、中国大陸での日本の侵略行為を直接認め、謝罪した。しかし現在、これに修正意見をつけて談話を作ろうとしている。安倍首相は、自分の前任者達の立場を支持している事を認めるだろうが、もし彼が反省を口にしながらも謝罪せず、単に言及を制限するならば、中国では、誠意あるものとして評価されないだろう。これは感情的な受け止め方なのだが、中国人にとっては、非常に重要な事なのだ。」
最後に奇妙に思われるので触れておきたいが、太平洋戦争に参加した他の国々、特に米国は、北京での記念行事に招待されているのだろうか、そして参加するのだろうか?この事は今も、はっきりしていない。もし米国の大統領が中国に行くのであれば、それによって日本を心ならずも侮辱してしまうかもしれない。しかし行かなければ、今度は中国を侮辱する事になってしまう。大体において、北京での戦勝70周年のイベントをめぐる外交的な霧、あいまいさは、今も晴れないままである。