国境線画定問題についてのロシアの立場というのは、南クリル諸島は第2次世界大戦の結果、1945年2月11日のヤルタ会談、1945年7月26日のポツダム宣言における連合国の合意に基づき、ソ連に、そしてその後はロシアに合法的に組み入れられたというものであり、同諸島に対するロシアの主権は国際法の形式にのっとったものであるため、これへの疑問の余地はないというものだ。
クリル作戦は第2次世界大戦の一部であったことを忘れてはならない。 ロシア軍事歴史協会、学術部のユーリー・ニキフォロフ部長は、日本はヒトラー陣営に所属しており、その時点ではソ連の東の国境にとって脅威であったと指摘している。そしてソ連は米国の執拗な要請に従って、対日戦に参戦し、連合国としての自国の責任を果たした。ニキフォロフ部長は、露日間の戦後の領土論争は人為的な性格を帯びており、米国によって過熱させられているとの確信を表し、次のように語っている。
日本社会の意識の中で、米空軍の行なった広島、長崎への野蛮な爆撃についての痛い記憶よりもクリルが重要視されるためには、日本人の感情の矛先をクリル諸島の出来事に仕向けることが必要だった。
なんといっても日本は、原爆投下のほか、通常兵器による爆撃を受けており、おびただしい数の空襲によって数箇所の都市が街ごと破壊されていたからだ。
日本人社会に米国に対する敵対感情を許させないために、米国が作り出したドラマだったことは間違いない。戦後、日本はシーレーンで米国の外交政策に従うことになると予想されていたため、米国は何らかの方法で敵対感情を克服する必要があった。
このため西側のマスコミ、またその形成に一役買っていた人間らはこぞって日本人に対して、クリル諸島が不当にソ連の手に渡ったと想起させ、世論を苛立たせてきたのだ。」
ロシア外務省アジア課のデニス・カレーニン課長は両国とも今後の平和条約締結交渉の実施を重要視しているとの見方を示し、次のように語っている。
「両国関係に従事する人間として私は、今日領土問題の抱える重要性は平和条約問題の重要性には比べ物にならないと思う。なぜなら条約が欠如している状況はロシア大統領も指摘したようにノーマルではないからだ。この問題の討議は続けられねばならない。これは重要だ。たしかに条約がないにもかかわらず、いずれにせよ両国関係は拡大しており、それには安全保障といったデリケートなテーマでの関係も含まれてはいるが。」