10月29・30日の両日、ユジノサハリンスクで、樺太時代の史跡保存に関する第8回国際シンポジウムが開かれる。シンポジウムのメインテーマは、観光資源を用いた史跡ポテンシャルの発展だ。日本とロシアの学者たちは、北海道とサハリンにある日本の史跡保存に関する経験を共有し、サハリン州でのインバウンド観光ならびに国内観光の発展などを目的にした、樺太時代の史跡の調査、保存および普及に関する今後の共同活動の方向性を策定する意向。専門家たちは、コルサコフ市で新たに発見された樺太時代の歴史的建造物の調査も行う。またシンポジウムでは、サハリン州文化省の主任顧問で、サハリン郷土史研究家のイーゴリ・サマリン氏が作成した、樺太時代の名所を記した待望のガイドブックのプレゼンテーションも予定されている。ガイドブックは出版までに数年間を要した。このガイドブックでは、1905年から1945年までの南サハリンにおける日本の統治時代の名所の数々が紹介されている。サマリン氏は、ラジオ「スプートニク」に、次のように語った-
シンポジウムでは、「19世紀の産業遺産施設の研究。廃虚からユネスコの世界遺産リストへの道」と題された日本の専門家たちの報告が関心をひくとみられている。これは、日本の産業革命で大きな役割を果たした19世紀の工場に関するものだ。これらの工場は、時の経過と共に老朽化が進み、操業を停止した。しかし近年、これらの放置された産業施設への関心が高まっており、日本はユネスコの世界遺産への登録を申請した。今年、申請が受理され、これらの場所へ訪れる観光客が急増した。工場は、歴史的観光スポットとなった。鳥居副領事は、私たちはサハリンの旧製糸工場やその他の同じような歴史的な場所にはポテンシャルが隠されていると考えていると指摘し、そのため、この分野の知識を共有したいとの考えを表した。
製糸工場の一つは、サハリン南部のドリンスキー地区にある。この工場を建設したのは日本人で、工場は1917年に操業を開始した。ソ連時代、この工場は書籍用紙の生産を続けた。樺太時代のサハリンには、このような製紙工場がいくつかあった。しかし、今も残っている工場は少ない。一方で、ブズモリエ村郊外には今も鳥居がそのまま残っている。鳥居に記されている漢字も読める状態にある。以前この鳥居の奥には1922年に建てられた「泊居(とまりおる)神社」があった。昔のことを知る老人たちは、以前サハリンにはこのような鳥居がたくさんあったと語っている。しかしその多くは自然に壊れたり、破壊されてしまった。恐らく素晴らしい状態で残っているのはブズモリエの鳥居だけだ。しかし、これらの鳥居は海辺に立っている。
サハリンには今日、例えば「バイカル湖」のような、何らかの観光ブランドや自然ブランドがない。樺太時代の史跡には、そのようなブランドの一つになるチャンスがある。