2011年の段階で日本に外国人登録していたロシア人は7566人。うち半分以上が、東京・神奈川・千葉の首都圏に住んでいる。彼らの多くは、本国に住む親戚や友人たちから「ロシアへの帰還要請」をされた。ロシアでは生まれてから一回も地震を経験したことのない人もたくさんいる。それに加え1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故を体験したことと、嘘か本当かわからない情報が錯綜したことで、より恐怖感が高まった。宮城県内と東京都内を取り違えてテロップ表示した映像が海外で出回り、東京は原子力の雲の下で完全に崩壊したというデマさえも広まってしまった。
グループ立ち上げにあたってマルコフツェフ氏は、IT会社でプログラマーとして働く知人の田中トム氏に助けを求めた。田中氏はロシアで働いた経験があり、ロシア人の友人も多い。田中氏は信頼のおけるニュースサイトや、東京電力の情報などを英語に翻訳し、外国人の情報収集と分析を助けた。彼らはこのおかげで日本国内で発表された情報と、IAEA(国際原子力機関)などの見解を照らし合わせることができた。田中氏は、ボランティアでの翻訳を引き受けた理由について「パニックに陥った外国人の知り合いがいて、もう日本に住めないと決め付けていました。これを何とかするため、正確な情報を届けなければと思いました。」と話している。田中氏は震災から約2年ほど翻訳ボランティアを続けた。グループに投稿された記事(ドキュメント)は100件以上にものぼり、ロシア人ブロガーたちに引用され、情報が広まっていった。田中氏のところには、直接の問い合わせや感謝のメールなどが来た。
マルコフツェフ氏によれば、ストップ・パニックは「必ずしもロシア人だけを対象にしたものではなかった」ということだが、結果的に多くのロシア人がこれによって情報を得、日本に留まり続けることができた。都内の旅行会社に勤務するデニス・モロゾフ氏は、震災発生当時の東京をこのように振り返る。「静かなるパニックは東京を静かに呑み込んでいましたが、それは一瞬で立ち去りました。私の周りにいた人たちは冷静さを保ち、懸命に仕事をこなし、自分よりも被災者を思いやっていました。この素晴らしい環境は、『大丈夫、すべての問題はきっと解決される。慌てふためく必要はない』とささやいているようでした。」