ワディム・レーピンは、6時間に及ぶリハーサルの後、スプートニク日本のアンナ・オラロワ記者の電話インタビューに応じ、その中で、シベリア横断鉄道は今のところ日本列島にまでは達していないが、トランス=シベリア芸術祭の方は、どのように日本に「到達できた」のかについて語った。
レーピン:「私にはいつも、私達のプロジェクトを、東と西を固くまた永遠に結び付けるシベリア横断鉄道のように、人々を結び付け、強固な真の友情の橋を築くように、インターナショナルなもの、国際的なものにしたいとの夢があった。このプロジェクトを始めて3年、我々の参加者達は、多くの国々の関心を引き付けた。我々のプロジェクトが、国際的なものになるよう、パートナーあるいは一種の「スプートニク(同行者)」になるという提案がなされている。」
レーピン:「私達は、世界的に認められた諏訪内さんと共に、セルゲイ・プロコフィエフの驚異的な名作「二つのヴァイオリンのためのソナタ」を演奏する。この作品は、私が最も愛する作品の一つと呼ぶことができる。日本の音 楽家達は、彼らの特徴である精密さをもって、私達のプログラムに大変インスピレーション豊かにアプローチしてくれている。この事は、非常な喜びだ。 田中杏菜さんは、ノヴォシビルスクで育ったと言っても過言でない。今回のフェスティバルへの招待は、彼女にとって、人生における新しい一歩になると 思っている。 若い才能が、トランス=シベリア芸術祭のおかげで、新しいチャンスを手にしている。私達は、世界的に認められた諏訪内さんと共に、セルゲ イ・プロコフィエフの驚異的な名作「二つのヴァイオリンのためのソナタ」を演奏する。この作品は、私が最も愛する作品の一つと呼ぶことができる。日本の音 楽家達は、彼らの特徴である精密さをもって、私達のプログラムに大変インスピレーション豊かにアプローチしてくれている。この事は、非常な喜びだ。日本のオーケストラについて言えば、彼らは、もうリハーサルで満足してしまうくらい、質的に準備ができており、プログラムに責任をもってアプローチしている。彼らは、行ってみれば、すべてを直ちに飲み込んでしまう。なぜなら、何十年といった経験をまだ持たない大変多くの若い音楽家達が、彼らの背後に控えて いるからだ。この事が、私達のフェスティバルを興味深いものにしていると思う。」
レーピン:「それよりむしろ、祝祭と感じている。演奏する場合、それをどこでするにしても責任は変わらない。アーチストであれば皆持っている責任だ。我々のコンサートやトランス=シベリア芸術祭のプログラムによって、長年にわたり続いている極めて壮大な文化行事である、日本におけるロシア文化フェスティバルが興味深いものになるならば、それは素晴らしいことだ。我々が、日本とロシアの間の小さな橋を、もう一つかけることができるのだとしたら、それは大変うれしい。
このように述べたワディム・レーピンは、さらにトランス=シベリア芸術祭が毎年恒例のものになればよいとの希望を明らかにし、最後に次のように付け加えた-「私達は、プログラムがどれほど普通と違っていて、どれだけ人々に求められているかに注意しながら、私達の今後のプランを立てていくだろう。それが、日本あるいは他の国、あるいは他の大陸なのか、時間が教えてくれる。しかしもし私達が、本当の友情の橋をかけるならば、それを壊すことはできないのだ」。
トランス=シベリア芸術祭は、2014年にロシアで初めて行われ、翌年はイスラエルで、そして三回目の今回は日本で催されている。