第1章 経済的側面からの考察
5. 国際戦略
(1) 国策会社としてのガスプロムおよびロスネフチ
2016年7月、ガスプロムは国家コーポレーション・ヴニェシエコノム銀行(VEB)が保有していたガスプロム株とガスプロムの米預託証券(ADR)、資本金の3.59%分を購入した。経営破綻状態にあったVEBに資金提供するための救済策であり、購入額は明らかにされていないものの、約1300億ルーブルで売買されたとの見方がある(Ведомости, Jul. 18, 2016)。ただ、国家コーポレーションは政府主導の組織だから、VEBの保有していたガスプロム株やガスプロムのADRのガスプロムへの移動はガスプロムへの政府支配に直接的な影響をおよぼすわけではない(20)。
ガスプロムは政府主導の国営会社である以上、その経営上の戦略は国家戦略と対応関係をもっている。だが、ロシア政府はガスプロムだけでなく、石油会社ロスネフチもまた国営会社として管轄下に置いている(21)。ゆえに、両社とも国策会社として、ロシア政府の内政・外交上の戦略に呼応した経営方針をとっている。逆に言えば、ガスプロムの国際戦略はロシア政府の外交戦略を理解するうえで重要であり、同じことはロスネフチについても言える。その意味では、ロシア政府のエネルギー分野の外交戦略はガスプロムやロスネフチの国際戦略を通じて実践されていることになる(もう一つあげるとすれば、核エネルギーにかかわるロスアトムという国家コーポレーションを忘れてはならない)。
この節では、ロシア政府全体の外交政策上、ガスプロムの国際戦略がどのように位置づけられているかを考察することにしたい。
プーチン大統領にとって、国家安全保障が最大の関心事であり、主権国家としてのロシアが短期的にも中長期的にもその安全保障上、その地位を安全に保ち、かつその優位を確保することが重要戦略的課題となっている。これを実現するために、軍事力の強化に加えて、経済の発展、外交上の影響力の拡大などがめざされている。このなかで、外交上の戦略からみると、エネルギーの輸出を通じた外国への影響力の行使が重要な役割を担っている。同時に、武器輸出による軍事・外交上の重要な要因もあるが、ここでは、エネルギー外交にしぼって、ガスプロムを中心に論じることにしたい。まず、ガスプロムの欧州戦略の見直しについて説明し、ついで、対中協力にかかわるエネルギー外交について語りたい。ウクライナ危機の表面化後、ロシアは外交上も軍事上も対中接近を強めているからである。
いわゆる「ガス向け第三エネルギー・パッケージ」(第三パッケージ)として知られる法令によって、EU内では、同じ会社がエネルギーを生産・輸送・販売することが禁止されただけでなく、主要なインフラを自社で所有することが禁止されたことから、ガスプロムは、これまでガスプロムが推進してきたガスPLを各国でガスプロムやその子会社が所有したり、PLのオペレーター会社の経営権を握ったりしてきた政策を全面的に見直す必要に迫られている。
ガスプロムは2014年6月、リトアニアの家計や企業向けにガスを販売するLietuvos dujosとガス輸送ネットワークのオペレーターであるAmber Gridの株37.1%を売却した。その直前にリトアニアの競争監視当局がガスプロムに対してガス供給で競争を妨げているとして罰金を科したことから、ガスプロムは急遽、株式を政府に売却した。
エストニアでは、2016年5月、ガス輸送や配送、国内販売を行ってきた独占企業であるEesti Gaasが輸送部門と販売部門に分離したことを受けて、ガスプロムは2016年5月、保有していたEesti Gaas株37.026%を売却することで合意した。売却額は2457万ユーロ。投資会社AS Infortarの子会社、Trilini Energy OUが買い手となる。
ラトビアの独占企業のLatvijas Gazeについては、2017年末までに同社を輸送システムオペレーター部門とガス配送部門オペレーターの二つの独立した企業に分割することが計画されている。すでに2016年1月には、ドイツのUniper Ruhrgas International(以前の名称はE.On Ruhrgas)からLatvijas Gaze株28.97%を欧州のMarguerite Fundが取得した。この結果、Uniper Rurgasの持ち株比率が18.26%まで低下する一方、ガスプロムの同割合は34%のままであり、ロスネフチが支配するItera Latvijaが16%を保有していた(Нефть и Капитал, No. 1-2, 2016)2016年3月に入って、ガスプロムはこの34%の株式を売却する方針を明らかにしており、ラトビアでもガスプロムは撤退することになる。
フィンランドについては、ガスプロムは保有していたフィンランドのGasum(天然ガス、バイオガス、LNGのガスシステム会社)株25%を国営のGasonia Oyに売却、Gasoniaはすでに75%を所有していたから、同社はGasum株を100%保有するようになった。
ドイツでは、2015年4月、ドイツのEWE AGがガスプロムのドイツ子会社、Gazprom Germaniaから、ドイツ東部でのガス取引に従事するVNG Verbundnetz Gas AG (VNG) 株10.52%を取得することになったと発表した。これにより、EWEはVNG株を74.2%所有することになる。わずかな株の売却にすぎないが、これもガスプロムが欧州戦略の練り直しを迫られている証と言える。
ドイツではまた、ガスプロムとBASFとの関係に大きな変化が起きた。2015年9月、ガスプロムのミレル社長とBASFのKurt Bock会長はガスプロムとBASFの100%子会社、Wintershallとの間の資産スワップ協定に署名し、10月にそれが執行された。Wintershallは西シベリアのウレンゴイにある天然ガス・コンデンサートの2鉱区の25.1%を取得する代わりに、ガスプロムはWINGAS、WIEH、WIEEの100%までの株式を保有すると同時に、WINZ株50%を受け取った。WINGASはWintershallが50.02%、ガスプロムが49.98%をもつ合弁会社で、ガスの卸売販売と貯蔵に従事してきた。WIEH(Wintershall Erdgas Handelshaus Berlin)はWintershall、ガスプロムが50%ずつを保有する合弁会社で、ドイツにおける天然ガスの売買にあたってきた。
WIEE(Wintershall Erdgas Handelshaus Zug)も2社折半の合弁会社で、南東ヨーロッパでのガス販売に従事してきた。WINZ(Wintershall Noordzee)は北海大陸棚の探査などに従事するWintershallの一部をなす会社だ。いずれにしても、この資産スワップにより、ガスプロムは独立してドイツでのガス販売を行わなければならなくなったことになる。2016年8月には、Gazprom Germaniaの子会社として新会社Gazprom NGV Europeが設立された。ドイツにおけるガソリンスタンドでガスを充塡する仕事に従事するほか、チェコやポーランドでのガスステーション建設にもかかわきた。ドイツエネルギー法で、取引と輸送の分離が規定されているため、同社を別会社として設立したことになる。
ガスプロムは100%子会社のガスプロム・エクスポルトという欧州へのガス輸出を担当する会社をもち、その子会社としてGazprom Germaniaがあり、その子会社としてロンドンにGazprom Marketing & Trading(GM&T)を置いてきた。だが、このGM&Tをサンクトペテルブルクに移すという話も浮上している。このように。ガスプロムの欧州戦略は曲がり角にきている。
EUの猛烈な圧力
ガスプロムはEUからの別の圧力の矢面にも立っている。それは、ガスプロムが独占禁止法に違反しており、罰金支払いを命じられるのではないかという懸念であった。
2011年9月27日、欧州委員会はガスプロムと契約する会社およびガスプロムの子会社やその合弁会社の予告なしの検査を行った。EU 加盟10カ国の20社に検査が入った。ガスプロムの独占的行為やいわゆる「第三パッケージ」の執行にかかわる問題を調査するためだったが、2012年9月、欧州委員会はガスプロムがEU の反トラスト規則に違反している可能性があるとし、正式な調査手続きを開始したことを明らかにした。
そして、2015年4月、EU 委員会はガスプロムに対して、中東欧諸国での独占的な状況を利用した濫用があったという公式な警告書を送付した。ガスプロムがブリガリア、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、スロバキアの8カ国でガス供給市場での競争を妨げていると指摘している。その後、ロシアとEUは協議に入り、2016年10月の情報では、「ガスプロムはEUと和解する」との観測が高まっている(Ведомости, Oct. 17, 2016)。
2009年5月には、同委員会はコンピュータ・チップ市場での支配権の濫用を理由にインテルに10億6000万ユーロもの罰金を科した。2013年3月、同委員会はマイクロソフトに7億3200万ドルの罰金を科した。罰金は市場での毎年の収入の10%が科されることもあるため、ガスプロムの場合、2015年の売上高6.07兆ルーブル(1002億ドル)に対応して、罰金額は100億ドルを上回るのではないかとの見方もある。だが、ガスプロムはその活動で欧州側の主張に妥協する姿勢を示し、罰金を免れようとしている。本書の最終執筆時点では、その結果は不明だが、ガスプロムの今後の欧州戦略を占ううえで重要な決断となるだろう。
中ロ協力については、すでに拙著や拙稿で論じたことがある(22)。ここでは、エネルギー関連分野についてだけ考察してみたい。
プーチン大統領の訪中時の2014年5月20日に署名された文書には、①浮体原子力発電所建設に関するロシア核エネルギー国家コーポレーション「ロスアトム」・中国核工業集団公司間相互議定書、②公開型株式会社「ノヴァテク」・中国石油天然気集団(CNPC)間のヤマルLNGプロジェクトの枠内でのLNG売買契約、③石油会社ロスネフチ・CNPC間の天津市での製油所および同工場での精製向け原油供給の計画表、④電力部面での戦略的協力計画(intent)に関するグループ「インターRAO」・中国華能集団公司間協定、⑤「ルスギドロ」・中国電力建設集団有限公司(PowerChina)間戦略的協定、⑥「ロッシースキー・セチ」(ロスセチ)・中国国家電網公司間協力協定などがある。翌日の5月21日になって、ようやくガスプロム・CNPC間で「東ルート」での天然ガス売買契約が締結された。
2014年10月13日、中ロ政府首脳定期会談に合わせて署名された文書には、①「東ルート」に基づくロシアからの中国への天然ガス供給部面での協力に関する中ロ政府間協定、②2014年5月21日にガスプロム・CNPC間で締結された「東ルート」での天然ガス売買契約に対する技術協定、③ロスネフチ・CNPC間の戦略的相互作用の一層の深化に関する協定、④ロスセチ・中国国家電網公司間の送電インフラ再構築および新建設部面での相互協力協定などがある。
2014年11月9日には、プーチンと習近平との首脳会談の結果、①「西ルート」でのロシアから中国へのガス供給部面議定書、②「西ルート」でのロシアから中国への天然ガス供給に関するガスプロム・CNPC間枠組協定、③2013年3月22日付原油供給拡大に関する中ロ政府間協定の枠内での前払い条件における。2013年6月21日付原油売買長期契約に基づく2015~2017年供給項目の一時的変更問題に関するテクニカル協定、④ガスプロム・中国海洋石油総公司間相互理解議定書、⑤アルハンゲリスク州での電力投資プロジェクト実施に関する「地域発電会社No. 2」・中国華能集団公司間枠組協定、⑥ロシア極東での発電所の共同資金調達・建設・利用に関する「ルスギドロ」・「三峡ダム」間協定、⑦水力発電所建設部面での協力に関する「ルスギドロ」・PowerChina間協定などが締結された。
2015年に入ると、表16にあるように、5月になって、9.「西ルート」でのロシアから中国へのガス供給基本条件に関する公開型株式会社「ガスプロム」と中国石油天然気集団(CNPC)との間の協定(2014年11月の枠組協定の延長線で結ばれたもので、当初、年300億㎥の供給を見込むことになった)、18.公開型株式会社「ガスプロム」とCNPCとの間の戦略的協力協定(具体的内容は不明)、22.公開型株式会社「ルスギドロ」と「三峡ダム」との間の協力協定などのエネルギー関連分野での合意が成立した。
プーチンは2015年8月15日、大統領令「「東ルート」に基づくロシアから中国への天然ガス供給部面での協力に関するロシア政府と中国政府との間の協定実現措置について」に署名した。前記の2014年10月13日付中ロ政府間協定にしたがって、2015年9月1日までにロシア政府はシーラ・シベリアを含むガス輸送インフラ施設建設向け国家支援の包括的措置計画を承認するよう命じられている。
同年9月3日になって、ガスプロムとCNPCはロシア極東からの天然ガスの中国へのパイプライン供給プロジェクトに関する相互理解議定書に署名した。これは、サハリンⅢでのガス開発を前提に、「サハリン-ハバロフスク-ウラジオストク」PLを利用・延長するものだ。
同年12月17日には、両社はアムール川架橋を含む、シーラ・シベリアの輸送境界区域の計画化・建設協定や石油部面での両社間相互理解議定書に署名した。こうしてシーラ・シベリア建設は現実のものとなっていったことになる。
2016年1月、プーチンは連邦法「ヤマルLNGプロジェクト実現の部面における協力に関するロシア連邦政府と中華人民共和国政府との間の協定議定書批准について」に署名し、同法が発効した。これにより、中国のシルクロード基金がノヴァテクのもとからヤマルLNG株9.9%を取得することになったのである。
2016年6月25日になって、プーチンの正式な訪中に際して、表17にある文書が締結された。8. ロシア連邦政府と中華人民共和国政府との間の、核発電所の中国領内での建設および中国によるロシアへの国家クレジットの供与における協力協定への追加、20. 中国開発銀行と中国輸出入銀行のクレジット手段を公開型株式会社「ヤマルLNG」が選別する原則に関する議定書、23. ガスプロムとCNPCとの間の、中国領内でのガスの地下貯蔵やガス発電の部面での協力の諸問題に関する相互理解議定書、24. 公開型株式会社「ロスセチ」と中国国家送電会社との間の合弁企業設立に関する株主間協定、25. 公開型株式会社「石油会社・ロスネフチ」と中国コーポレーションSinopecとの間の、東シベリアにおけるコンビネーションガスの製造・分離や石油化学製品の生産に関するコンプレクスの建設・保持・利用プロジェクトの共同のプレ・フィージビリティ・スタディ(プレFS)の準備に関する枠組協定、29. 公開型株式会社「石油会社・ロスネフチ」と「北京控股有限公司」(Beijing Enterprises Holdings Limited)との間の石油ガス分野におけるヴェルフネチョンスクネフチガス・プロジェクトとその他の協力の枠内での協力に対する基本条件協定などのエネルギー分野での協力がまとまったことになる。このように、多岐にわたる中ロ協力がエネルギー分野でも拡大していることになる。
ここで注意喚起しなければならないのは、同じ国営のガスプロムとロスネフチの利害が必ずしも一致していないことである。中国の場合には、CNPCが石油部門も天然ガス部門もともに統括しているため、石油とガスの利害相反は少なくともCNPC全体としては生じない。だが、ロシアの場合、同じ総合的エネルギー会社であっても、ガスプロムはあくまで天然ガスの探査・採掘・輸送・販売を中心とする会社であり、他方、ロスネフチは天然ガスの採掘がないわけではないが、主力は原油の探査・採掘・販売である。このため、両社の利害関係が対中協力において対立することもある。たとえば、ロスネフチは建設中のシーラ・シベリアを利用して、自社で採掘した天然ガスを中国に直接、輸出したい考えだが、ガスプロムはPLを経由した輸出独占権をたてにこれに反対している。中国政府からみれば、ロスネフチが独自に対中輸出するようになれば、ロスネフチとガスプロムとのガス輸出の競争を通じてより大きな利益を得られる可能性が拡大するだろう。
ガスプロムとロスネフチとのガスをめぐる対立は国内でも生じている。この問題は第7節の「国内のガス問題」で論じることにしたい。_____________________________________________________________
(19) ロスガズィフィカーツィヤのもつ0.89%すべてを政府の直接の持ち分とする計画が依然からあった。ロスガズィフィカーツィヤ株25.45%は7ガス配送会社(GRO)と個人に属しており、そのGROはロスネフチガスに属していた。だが、プーチン首相は2010年11月、ロスネフチガスに属している、この7GROを含む、72のGROをガスプロムに売却することを承認した。ガスプロムは自社株の一部を間接的に保有することになる。しかし、このプーチンの決定はしばらく実行に移されず、2013年3月になってようやくガスプロムの取締役会はGRO購入を承認、258億ルーブルを支出することにしたのである。
(20) 国家コーポレーションについては、拙稿「国家コーポレーションを探る:ロシアテクノロジーを中心に」『ロシアNIS調査月報』(2010)を参照してほしい。
(21) ロスネフチの2015年末の株主構成をみると、ロスネフチガス(連邦国家資産管理庁が100%所有)が69.50%、BP Russian Investments Ltdが19.75%を保有している。流通株としては、預託証券分が7.50%、株式分が3.25%の合計10.75%がある。こうした状況から、ロスネフチは株式の過半数が政府管理下にある国営企業と定義できる。
(22) 拙著『ウクライナ2.0』(社会評論社, 2015)の129-149ページを参照。拙稿「ロシアからみた中国の「新シルクロード構想」」『東亜』(No. 573, No.3, 2015)や「中ロ協力の現在:軍事と金融を中心に」『ロシアNIS調査月報』(No. 3, 2015)も参考にしてほしい。