しかし1917年の革命後、その地位が変わってしまった。ソ連時代、新年は、降誕祭が持っていた性格の中から、世俗的な家族のお祭りという部分を完全に自分の中に含んでしまい、降誕祭は何よりも正教信者のものとして扱われるようになった。しかしここ数年、人々は降誕祭に、ますます多く教会を訪れるようになり、この祝祭日が持つ宗教的な意味を思い出している。例えば、モスクワにあるロシア正教最大の寺院、救世主ハリストス大聖堂での降誕祭の礼拝には、毎年5千人を超す人達が集まっている。
本日は「クリスマス週間」にちなみ、ロシア正教会の聖職者で同時に、著名な画家でもあるゲオルギイ・パルフョーノフ神父に、スプートニク日本のリュドミラ・サーキャン記者が行ったインタビューを皆さんに御紹介したい。
記者:降誕祭は、素晴らしい祝祭日ですが、あなたの目から見て、その真の意味合いはどこにあるとお考えですか?
神父:降誕祭は、復活大祭同様に世界のキリスト教徒全体にとって偉大な祝祭です。この祝祭は、そこを通って救世主が世界に入ってきた門が開かれる日です。ハリストスの到来とその昇天は、人々に、罪の中に生きるのではなく、ハリストスの教えに従って生きるため、自らの生活を考え直す機会を与えました。ただそれを守るのは、容易であり同時に難しいことです。
記者:ただロシアでは、降誕祭は、新年の後にやってきます。そうした事から、多くの人達にとって、降誕祭のお祝いは、年明けから続く宴席やお祭りに単にピリオドを打つものになっているようです。そうは思われませんか?
記者:自分のことを正教徒だと言いながら、罪を犯し、祈りの言葉も知らず、キリスト教の戒律も守らずに祝祭日だけ教会にやって来るような人達には、あなたはどう接していますか?
神父:大体、教会に対する弾圧が終わり、寺院の復興が始まった1980年代半ばから、専門用語で「儀礼的異端」と称されるような悲しむべき傾向が現れました。多くの人達が寺院を訪れ、洗礼を受け、イコンの前にロウソクを灯しますが、キリスト教徒とは何たるか、真の信仰とは何かについて知識がありません。ですから聖職者には、たくさんの仕事があります。説明し啓蒙し、生きる模範としてキリスト教徒としての行動を示さなくてはならないのです。
記者:どのようにしてあなたは聖職者になられたのですか?
神父:かなり長い話になります。子供時代、私は、何よりも絵を描くのが好きでした。ですから普通学校を終えてから、ウラジーミルにある美術学校に入りました。そこを卒業後、 軍役を果たし、美術家として働くようになりました。1990年代に寺院が開かれ始めた時、私は、職業的な好奇心からそこに通いました。そしてそこで、聖職者であり又美術家同盟のメンバーでもあるインノケンチイ神父と知り合いになったのです。まさに彼の影響で、周囲の人達にも又自分自身にとっても思いもかけないことに、私は神学校に入り、1995年には神父となってウラジーミル州にある寺院を任されました。
記者:あなたは長年、打ち捨てられ崩壊した寺院の修復に取り組んでこられましたが、その時期のことについて、お話しいただけますか。
近くゲオルギイ神父は、美術家同盟の会員に迎えられる予定だ。彼の作品は、これまで何度も、故郷ウラジーミルばかりでなく、モスクワやサンクトペテルブルグなどロシアの他の町でも紹介されてきた。神父の絵に魅かれる人達は、何もロシアだけではない。米国やフランス、ドイツ、オーストリアなどにもファンがいる。ゲオルギイ神父は、自分のフェイスブックのページでも、その作品を公開している。もし興味のある方がいらっしゃれば、是非ご覧ください! 神父の深い魅力を、より理解できるでしょう。 ロシアのクリスマスにあたり、皆さんの御健康と御多幸を、モスクワから一同お祈り致します。