冷戦後、1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、1993年に欧州28ヶ国を統合する欧州連合が設立されると、隣国同士を隔てる壁は過去の遺物になるかと思われた。しかし、1998年から2012年の間に、世界ではさらに27の壁が新たに誕生した。これは調査論文『国境の壁:米国、インド、イスラエルの安全保障とテロリスト戦争( Border Walls: Security and the War on Terror in the United States, India, and Israel Paperback)』の著者リース・ジョーンズ(Reece Jones)氏が数えたものである。この3ヶ国だけで合計5700キロメートルの「安全保障の壁」が建設された。
1960年代から70年代に韓国と北朝鮮の間に誕生した壁は、かつてのひとつの国を敵対するふたつに隔て、南北対立の象徴となった。この壁は当時、北よりも生活水準の低かった南から北への大量移民を防ぐためものもであった。半世紀が経ち、状況は反転した。国境区域は非武装地帯と名付けられてはいるものの、両国は今でも、壁を挟んでお互いに武器で脅し合うことが少なくない。
つまるところ、どんなにグローバリゼーションが叫ばれていても、国境のない世界は依然として叶わぬ夢のままなのだという印象をうける。ところで、「壁の政策」と同時に、もうひとつのトレンドも加速している。国と国民をつなぐ橋の建設だ。それも、政治が邪魔し得ないことで知られる文化の架け橋だけではない。2016年12月、20年(!)の交渉を経て、アムール川に国境を越える橋の建設が始まった。この橋がロシアと中国をつなぐ。双方はこのプロジェクトの実現により、二国間の鉄道輸送と自動車輸送の急激な増加を期待する。
日本とロシア大陸部をサハリン経由でつなぐ橋のアイデア、つまり鉄道もしくは自動車道路でつなぐというアイデアは、すでに数十年前から存在している。高額にはなるものの、技術的には十分実現可能である。しかし、こうした連絡路は双方に少なからぬ利益を約束するにも関わらず、具体的な交渉は今のところ行われていない。当然、大型国際プロジェクトというものは、まず最初に地政学的問題であり、経済はその次になるのが常だ。その代わり、双方はサハリンと日本を結ぶエネルギーブリッジ・プロジェクトに大きな関心を示している。海底に海峡を越えて敷設されたケーブルはもちろん本物の橋ではないが、このプロジェクトがロシアと日本を結ぶ橋の第一歩となるかもしれない。日本のNECはすでに、2007年に2本の光通信ケーブルを海底に敷設することで、日本とロシアをつなぐ一種の「技術の橋」を建設している。1本は北海道とサハリンを、もう1本はナホトカと直江津を結んでいる。3月18日に予定されている、南クリル諸島での共同経済問題に関する両国外務次官の会談が、お互いをつなぐさらなる一歩となるかもしれない。
「壁の政策」に話を戻すと、隣国と自国を隔てる壁として最も有名なものは、遊牧民から王朝を守るために何世紀にもわたって建設が続けられた万里の長城である。建設工事には200万人以上が動員された。これはプロジェクトの規模が大きかったからだけではなく、労働者の死亡率が恐ろしいほどに高かったからでもある。それが原因となって反乱が起こり、それが最終的には秦朝を崩壊へと追いやった。17世紀に中国の歴史家で詩人の万斯同は書いている。「長い壁が上へ上へと伸びる中、王朝は下へ下へと転げ落ちていった。人々は今でもこれを笑う・・・」