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「この聖人伝のイコンを見れば、ニコライ・ヤポンスキイの誕生から修業時代、日本での生活など、その人生の事実上すべてを知ることができる。こうしたものはめったにない。私の知る限り、同様のものはロシアにはないし。いずれにしても、私はこうしたものを日本でもロシアでも、目にしたことはなかった。さらに、このイコンを描いたのが正教徒の日本女性だという事実は、とても喜ばしい。これまでよく知られた日本の女性イコン画家は、山下りんだけだ。彼女は、最初の日本人イコン画家で、ニコライ・ヤポンスキイの祝福によって、絵の勉強のためロシアにやって来て、その後、日本で正教のイコンを描いた。」
エロフェーエワさんのイニシアチブで、今年3月、主の昇天寺院の聖ニコライのイコンの前で祈りがささげられた。
主の昇天寺院は、イコンを注文し、信者の間でイコンづくりのための浄財集めをしたばかりでなく、さらに聖ニコライ・ヤポンスキイ正教徒使節日本派遣のための資金も集めたのだが、これまでなかった額の支援が寄せられたという。
主の昇天寺院の歴史に詳しい、アレクサンドル・ミトルシチェンコフ氏は、次のように語っている-「私達のガヴリイル・グリゴリエヴィチ・ステチェンスキイ主任司祭(1873年から1890年まで奉職)は、モスクワ府主教聖インノケンチイの頼みにより、日本でのミッションのために10年間、お金を集め慈善家達との会合を組織した。聖ニコライは、書簡の中で『あなた方のおかげで、私達は、しっかりと両足で立ちあがったのです』と書き、感謝の言葉を述べている。1880年にモスクワに来た折、聖ニコライは、ガヴリイル主任司祭と会い、昇天小寺院で一度、司祭の亡くなった息子を追悼する祈祷式をとり行った。」
「すべて正教の規範に従って作られたものの、私達は、イコン入れ(立て)は日本スタイルで作ろうと思っている。ミッション用として、彫刻のついた飾り枠の代わりに、おそらく我々はそこに、例えば、パゴダの屋根や花咲く桜をつけるだろう。我々には夢がある。それは、日本の教会に頼んで、聖ニコライの聖骸あるいは祭服の一部を譲ってもらう事だ。我々は、正式な要請を行い、イコンに聖骸を入れたいと願っている。今後のことは、おそらく主がお決めになるだろう。我々は、イコンが我々の元にやって来ることを願っている、しかしもしそのために、さらにどこかが、またどこかで十字行を行う事が必要ならば、喜んでそれをするだろう。我々は、印刷所でこのイコンの大小の複製を準備し、それに関心を持ち、人生においてそれを必要とする人達は、得ることができるようにするつもりだ。こうした計画は、2018年、ロシア日本文化交流年までに実現させたいと望んでいる。」
最後に、この記事を準備するにあたりご協力頂いた、ナターリヤ・エロフェーエワさんに、スプートニク日本編集部一同、心から感謝申し上げます。
アンナ・オラロワ