最近のフィギュア界は、主力選手が目まぐるしく変わることが批判されている。特に女子シングルのチャンピオンは1~2年しかその座に君臨せず、最近までジュニアだった選手に、表彰台を譲ることになる。またケガなどを理由にシーズンを棒に振ることになれば、評論家たちもファンたちもその選手をすぐに有力選手から除外する。
熱烈なファンたちは、ザギトワもメドベージェワもまだ金メダルを賭けて戦うことができると信じているが、実際、そのようなことが現実となる可能性はあるのだろうか?この問いに答えを出すため、過去に、一度、競技から離れたものの、のちに主要な国際大会でメダルを獲得することができた有名選手たちを思い起こしてみたい。
「わたしも立ち上がった。だからあなたも立ち上がれる」
ロシアのイリーナ・スルツカヤはさまざまな大会で何度も勝利を手にした選手だが、実は、現役中、大会から遠ざかったシーズンがあった。2003/2004年のシーズン、彼女は自己免疫疾患(好酸球性多発血管炎性肉芽腫症)という重い病にかかり、引退を余儀なくされるだろうと噂された。しかし、2005年、スルツカヤはリンクに復帰し、世界選手権、欧州選手権、そしてグランプリファイナルで優勝、2006年には欧州選手権で7つ目となる金メダルを獲得、過去最高を記録した。トリノ五輪で2つ目のオリンピックメダルとなる銅メダルを手にしたのも、競技活動を休止した後のことである。
リーダーとして去り、リーダーとして復帰する
世界で初めてフィギュアスケートの四大大会(オリンピック、世界選手権、四大陸選手権、グランプリファイナル)のすべてを制し、オリンピックで韓国人として初めてバンクーバー五輪で金メダルに輝いたキムヨナは、長期にわたる休養期間を経て、2014年のソチ五輪のため、競技大会に復帰した。
キムヨナは2010/2011年のシーズン、大会には出場しなかったが、その次のシーズンに、幼少時代に師事していた最初のコーチである韓国人のシン・へスク、リュ・ジョンヒョン両氏とともに再始動した。2人の指導の下、キムヨナは世界選手権で、2位に20ポイント以上の差をつけて、優勝した。五輪では、ロシアのアデリーナ・ソトニコワに勝つことはできなかったが、それでも見事な復帰を果たした。
2014年のソチ五輪で銀メダルを獲得したカナダのケイトリン・オズモンドは、現役の間、安定した演技を見せることで知られた。オズモンドも深刻なケガ(ストレス性の足のケガを含む)に何度も悩まされながら、その度に復活を遂げ、2014年から2016年まで大会で良い結果を残せなかったものの、その後、カナダの代表チーム入りを果たした。2シーズンも好成績を残せずにいたものの、オズモンドはコンディションを取り戻しただけでなく、2018年の平昌五輪に向け、スケートの技術を進化させた。
スポーツ雑誌「アイス・ネットワーク」のインタビューに応じたオズモンドは、一旦競技会を離れたことは自分にとって逆にプラスになったと打ち明けている。「わたしはケガで休止するまでのレベルにまで回復することができました。もしかするともっと良い状態だったかもしれません。実際、ずっと良い状態だったと思います。ジャンプもよくなり、スケーティングもずっとうまくなりました。わたしには休養が必要だったのです。ここ数年、ケガが多かったので、それを完全に治す時間が必要だったのです」。
大会を諦めないという彼女決意が正しかったことは、平昌五輪で証明された。オズモンドは、代表チームの仲間たち(ガブリエル・デールマン、パトリック・チャン、テッサ・バーチュー&スコット・モイヤー、ミーガン・デュアメル&エリック・ラドフォード)とともに、ロシアチームに7ポイントの差をつけ、団体金メダルに輝いた。またシングルでも、それまでに多発させていたミスを回避し、アリーナ・ザギトワ、エヴゲニヤ・メドベージェワに次いで、銅メダルを獲得した。そしてイタリア、ミラノで開かれた世界選手権ではザギトワ、コストナーを抑えて、堂々の金メダルに輝いた。
最近は、時代とともに、こなすべきジャンプの種類が増え続けているが、それでも一度、競技を離れた選手が輝かしい復活を遂げた例はある。問題は、勝利を勝ち取るまで闘い続ける体力とモチベーションが十分に足りるかどうか、それだけである。