【人物】ロシアの作家で日本研究者「関係悪化でも日本文化に対するロシア人の関心は非常に高い」

© 写真 : Alexander Paryuginチャンツェフ氏
チャンツェフ氏 - Sputnik 日本, 1920, 07.04.2023
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近年、ロシアでは、若者を中心に、日本文学への関心の高まりが見られている。ここ数年の間に、小川洋子、灰谷健次郎、小山田浩子、永井隆、湊かなえといった作家の小説のロシア語訳が異なる出版社から出版された。そしてもちろん、ベストセラーであり続けている村上龍、村上春樹の小説も出版されている。21世紀に入って、ロシアの読者が日本文学に対して大きな関心を寄せるのはこれが初めてであるが、過去100年間を振り返れば、このような関心の高まりは3度目である。

日本文学ブーム

面白いことに、ロシアで初めて日本と日本文学に対する幅広い関心が芽生えたのは、20世紀初頭、露日戦争が終わった後のことである。そしてそれはちょうどヨーロッパ全体が日本文学に関心を寄せた時期とも重なっている。日本文学への関心が2度目に高まったのは1970年代から1980年代にかけて、日本の経済成長の時代であったが、これはまさに本物の日本文学ブームであった。当時、インテリ層の間では、安部公房や芥川龍之介、大江健三郎、川端康成といった作家の作品を読んでいないのは恥ずかしいことだとされた。1990年代に入ってからは遠藤周作、太宰治、カズオ・イシグロ、三島由紀夫などの作品も翻訳、出版されるようになった。
そしてこの春、三島由紀夫の「鏡子の家」が初めて、ロシア語に翻訳された。三島由紀夫の多くの作品がすでに翻訳、出版され、少なからぬ読者を獲得していることを考えれば、1959年に書かれた小説が未だロシア語に(そして英語にも)訳されていなかったことは驚くべきことである。この本へのまえがきを書いたのが、ロシアの文学研究者で、作家で評論家、文化研究者で日本研究者でもあるアレクサンドル・チャンツェフ氏である。チャンツェフ氏はこのたび、「スプートニク」からのインタビューに快く応じて下さった。そのインタビュー内容をご紹介する。
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スプートニク:60年以上前に書かれた「鏡子の家」も、三島由紀夫の他の作品同様、現代のロシアの読者にとって、差し迫った意味を持つものだと思われますか。
チャンツェフ氏:差し迫ったという意味から少し離れてしまいますが、芸術や才能というものは、時代を超えたものです。人々は日々のニュースというものに1日、1度か2度向き合いますが、清少納言やシェイクスピア、ドストエフスキーの作品には数世紀にわたって向かい合っています。「鏡子の家」について言えば、これはロシアの読者にとってきわめて現代的で重要な作品です。この小説で三島が目指したのは、自らの個人的な考え方、関心、感じ方というものを形にすることに加えて、作品の中に登場する4人の登場人物に自分の人格を「分割」することでした。彼は、幼年時代に戦争を経験し、青年時代に敗戦を迎えた世代の人々が抱える問題を理解しようとしたのです。
我が国では、今、同じような歴史的な出来事が起こっています。これからすべてが大きく変わるかもしれない崩壊点、分水界を迎えています。わたしたちの生活はすでに今、急激に変化しました。まえがきでは、三島がニヒリズムや戦後を生きた世代の希望というものについて書いたときの彼の考えを、最近、亡くなった大江健三郎の視点と比較すると面白いのではないかと思いました。大江は三島同様、世代の問題について書きましたが、加えて、西欧主義者であり、左翼でもありました。
一方の三島は逆に愛国主義者で、日本の伝統的な価値観を守るべきだと考えました。そして、自由主義と保守主義というまったく同じような分裂は、現在、ロシア社会にも見られ、相容れない主張がなされ、激しい論争が展開されています。ですから、この作品は今、本当に差し迫ったものなのです。ちなみに、ペテルブルクの出版社「アズブカ」は、まだロシア語に翻訳されていない三島由紀夫の作品を紹介するため尽力しています。とはいえ、わたしが大学卒業の年に三島作品を読み始めたときに比べれば、今の状況はかなり良くなっています。当時は、ロシア語で読めるのは「仮面の告白」、「金閣寺」などいくつかの作品だけでした。
今は、三島の主な作品はほぼすべてロシア語で読めます。そして、これからそれ以外の作品も出版されることになります。
スプートニク:今回、この作品へのまえがきの執筆を依頼されたのは偶然ではないのでしょうね。というのも、あなたの卒業論文は三島作品をテーマにしたものと伺っています。三島の何にそれほど魅かれたのでしょうか。
チャンツェフ氏:まず最初に断っておきたいのは、三島はわたしの好きな作家ではないということです。わたしは太宰治の方が好きなんです。
しかし、三島はいくつかの側面において非常にユニークであり、研究者として、彼の作品を掘り下げるのはとても興味深いのです。何より、これほど自身の考え方を深く見つめ、文学と人生を結びつけ、自身の持つ美しいもののイメージに合致するようボディービルやスポーツ、剣道などをして自身の身体を変え、その後、自殺した作家が他にいるでしょうか?また、かなり冷笑主義的な時代に、夢中で美しいものを愛し、美というテーマを自身の創作に反映させた作家が過去にいるでしょうか。
さらに、日本のもっとも伝統的な作家の1人であり、伝統的な日本の考え方や芸術のコンセプトを知りながら、彼はかなり西洋を意識していたのです。
こうした文化の接点や共通点というものがわたしにはとても興味深いものでした。
なぜ、三島は、仏教的な作品である「豊饒の海」で、古代ギリシアの思想である輪廻転生というものをテーマにしたのか、三島とは離れて、なぜ、禅の修行とヘシカスム(正教会における神秘的修道思想およびその実践)にはこれほど多くの共通点があるのかといったことです。
ワシーリー・モロジャコフ氏 - Sputnik 日本, 1920, 30.03.2023
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スプートニク:最近、「スプートニク」がインタビューを行った歴史研究家で日本研究者のワシーリー・モロジャコフ氏が、露日関係の黄金時代は1906年から1917年にかけてであると語っていました。あなたは露日関係がもっとも良好だった時代はいつだとお考えでしょうか。
チャンツェフ氏:尊敬するモロジャコフ先生は歴史研究家で、わたしは文学研究者、それも戦後文学の専門家です。遠い過去の歴史ではなく、近代により大きな関心があります。ですから、わたしの考えでは、露日関係がもっとも良好だったのはこの20年だと思います。ピークだったのは安倍首相時代でしょう。その間に、記録的な数の露日首脳会談が行われ、平和条約の締結にも近づいていたと思います。双方への観光客も増え、文化交流も活発化し、かなり安定した穏やかな時期でした。正直に言えば、すべての国のために、そして全世界のために、穏やかな発展の時代が続くことを願っています。そうなれば、自分たち自身で具体的な結果を出すことができるからです。しかし、新型コロナウイルスによるパンデミックはパンドラの箱をあけてしまいました。人類はさまざまな危機に突入したのです。
ジャパンウィーク - Sputnik 日本, 1920, 05.04.2023
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スプートニク:ロシアと日本の関係は現在、かなり低迷していると思うのですが、リセットすることは可能だと思いますか。経済的な相互利益だけを考えても、両国には関係のリセットが必要だと思いますか。
チャンツェフ氏:実際、今は最悪の時期だと言えるでしょう。しかし、わたしは、まったく悲観的なものとは捉えていません。
第一に、両国間の交渉は続いており、完全に関係が閉ざされたわけではありません。直行便はありませんが、日本に行くことも出来ますし、ビジネス関係も継続されています。そして、これは明確に言えることですが、日本文化に対するロシア人の関心は非常に高いものです。そして、それより少ないとはいえ、日本人の間にもロシアに対する関心はあります。たとえば、先ほど、大江健三郎やまえがきの話題が出ましたが、日本で大江健三郎集が出版されたときに、大江がソ連そしてロシアでどのように読まれ、どのように捉えられていたのかについて、まえがきを書いてほしいという依頼を受けました。
第二に、関係のリセットと再構築は避けられないものだということです。なぜならわたしたちは隣国であり、その事実を変えることはできないからです。隣人は平和のうちに暮らさなければなりません。しかも最近では、技術的災害、パンデミック、政治的対立など、世界そのものがかなり危険なものになっています。国際社会のこうした問題が、近い未来、消えてなくなることはないでしょう。そして世界に対する新たな脅威が現れます。それを回避するためには、根本的に意識を変える必要があります。
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簡単に言えば、技術的、経済的、実利的、消費的な発展の道から、広い意味において環境的で人道的で、精神的な発展の道に移行することです。なぜなら、多くの人々、企業、国が据えている、経済力を増大し、年間の収入を上げるという目的は、本質的にその意味を失ったからです。今年は昨年よりも5%増えた、来年は10%多くといったようにです。
前進は数字で表され、その数字はなんの意味もなく、数字だけに終わります(100%の利益など不可能でしょう)。必要なのは、人間の発展、その精神的、肉体的発展(これらは実際、密接に関連しています)への投資です。おそらく、だからこそ今、ESG(環境、社会、ガバナンス)というものが出てきたのでしょう。しかし、いずれにせよ、これは大海の一滴です。大部分の人々(企業、国)はあまりに頑なで、今より少し快適な「以前の状態のままであること」を願うばかりで、自分たちは大きく変わろうとしていません。
しかし世界は近年、こうした快適さも、あっという間に失われることになるということを証明しました。
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