【人物】「日本人は自分たちの世界をほんの少しよりよいものにしている」 日本に住むロシア人画家 

© 写真 : Andrey Verhovtsevアンドレイ・ヴェルホフツェフさん
アンドレイ・ヴェルホフツェフさん - Sputnik 日本, 1920, 10.04.2023
サイン
ロシア出身の画家、アンドレイ・ヴェルホフツェフさんは兵庫県姫路市に暮らして10年以上になる。ヴェルホフツェフさんはロシアの古都ミチューリンスクに生まれ、ペテルブルクの絵画アカデミーを卒業した。1995年から2008年にかけて、ロシア内外の多くの個展やグループ展に出展。2009年に日本に移住し、それ以来、100以上の展覧会に参加している。3月末に、大丸京都店内にあるアートサロンEspace Kyotoで開かれていた展覧会が閉幕したが、この展覧会の会期中、多忙の合間をぬって、ヴェルホフツェフさんは「スプートニク」のインタビューに応じて下さった。
スプートニク:どのような経緯で日本に住むようになったのでしょうか?日本の生活にはすぐになじめましたか。
ヴェルホフツェフさん:わたしはペテルブルクの絵画アカデミーを卒業した後、フリーの画家になりました。それまで、日本に行こうなどと考えたことは一度もなかったのですが、モスクワでロシア語を学んでいる日本人女性と出会い、交際するようになり、結婚し、娘を授かりました。書類の手続き上、妻がロシアに住み続けるのは難しかったので、彼女の祖国に一緒に帰ることにしました。こちらでも、それなりに書類の手続きは面倒ですが、思ったほどの困難はありません。ただ毎年、ヴィザを更新しなければならないくらいです。日本の生活に慣れるのは簡単でした。
たとえば、和食はもっとも正しく、体に良いものではないでしょうか。和食はわたしが訪れたことのある国の食事でもっとも気に入っています。妻もこれまで暮らしてきた環境に戻ることができました。彼女は仕事をしていますが、展覧会やフェスティヴァルがあるときには、ほぼいつもわたしと一緒にいてくれています。
娘は今14歳で、やはり絵を描いています。ただわたしを見て、おそらく無意識に、より整然とした、より安定した作品を得意としているようです。義母は、わたしは日本語が分からず、お金がないということもあってか最初はとても不安がっていました。
義母にしてみれば、わたしは不可解な人物で、わたしたちカップルも「ダメになる」と思っていたようですが、わたしたちが自分たちで独立した生活を送り、彼女の生活を邪魔するわけでもなく、不平不満を言うわけでもなく、彼女に何か頼んだりすることもなく、絆のある良い家族だということをわかってくれたように思います。
家族の関係も徐々に落ち着いてきました。それに、娘が成長して、義母とも日本語で話すようになりました。
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スプートニク:日本で暮らすようになったことは、ご自身の創作活動に反映されていますか。
ェルホフツェフさん:日本、わたしの創作に大きな影響を与えました。日本に来て、「愛する」という大規模なシリーズ作品を作りました。そして、「富士百景」シリーズを作ろうと考えています。
ここ数年は、性的なテーマ、モノクロの絵画に関心を持っていますが、これは日本の画家がやっていることとは接点のないものです。日本には多くの素晴らしい画家がいますが、わたしの技法は日本の画家のそれとは大きく異なっています。わたしが描いているのは、写真のようなモノクロの女性の姿(すぐに日本人女性ということがわかるもの)です。このような画法、このような融合を、日本人は、日本的なものを基礎としたエキゾチックなものと受け止めていて、それで観客を惹きつけているのでしょう。日本人が女性を描くときには、まったく違った描き方をしますからね。
© 写真 : Andrey Verhovtsev
 アンドレイ・ヴェルホフツェフ - Sputnik 日本
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 アンドレイ・ヴェルホフツェフ - Sputnik 日本
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 アンドレイ・ヴェルホフツェフ - Sputnik 日本
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スプートニク:ヴェルホフツェフさんの作品はどのようなジャンルのものと言えますか。またヴェルホフツェフさんの作品は日本で売れていますか。
ヴェルホフツェフさん:わたしは異ジャンルで活動しています。イーゼル画も、油絵も、グラフィックもやります。コラージュ、水彩画、グラフィック用の色鉛筆もよく使います。日本に来てから、油絵を始めました。何か新しいことを試してみたいと思ったのです。
今は4〜5つの方向性で創作活動を行なっています。活動場所は自宅の工房です。日本でありがたいのは、ストレッチャーバーも素晴らしく、キャンバスも優れていて、そして絵の具が最高の品質であることです。わたしはギャラリーや展覧会で自分の作品を販売しています。作品の売れ行きですが、波がありますね。展覧会でたくさん売れるときもあれば、あまり売れないときもあります。たくさん売れたときには、売れた作品の数を補充するために、また作品を描きます。あまり売れなかった場合は、それでまた規模の大きな個展を開くことができるわけです。そしてそれはわたしだけではありません。かなり有名な画家から、それほどでもない画家まで、皆、購入者が現れるのを待っています。これは、俳優から音楽家や画家に至るまでのすべてのアーティストたちの運命ですね。才能にそれほど差がなくても、売れる人もいれば、売れない人もいるのです。今の流行にピタッとハマる人もいれば、これからブームになる人もいれば、そうはならない人もいます。
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スプートニク:日本に暮らす外国人にはどのような苦労があると思いますか。
ヴェルホフツェフさん:多くの外国人が何らかの瞬間に孤独を感じているのではないでしょうか。日本人は皆、とても優しくて、誰もが笑顔で挨拶してくれますが、概して、自分は誰にも必要とされていないと感じるのです。誰も変な目で見たり、怒りをぶつけたりしないし、追い出されるようなこともなければ、理由もなく嫌なことをされることもありませんが、それでも孤独感は消えません。この感覚が積み重なっていって、我慢できなくなり、帰ってしまう人もいます。外国人はより社交的で、日本人はどちらかというと閉鎖的です。だから、誰もが、ここで友人を作り、同じ考えを持つ人を見つけられるわけではありません。外国人が日本人女性と結婚した場合は、妻と自分はまったく異なる人種だ、妻は自分とは違う存在なのだと感じることがありますね。外国人男性が日本人の妻や子どもを捨てて、自国に戻ってしまうということもあります。
そういう話はよく聞きます。妻との関係が悪いと、それが子どもにも影響します。しかし、子どもを苦しませるようなことはしてはいけません。もし自分が帰国するとしても、その場合は、子どもに対して、「パパは遠くにいるけど、愛しているよ、大きくなったらまた会えるからね」と説明してやる必要があるでしょう。自分の子どもを捨ててはいけません。
それは自分のことを振り返ってもそう思います。というのも、わたしは12歳でペテルブルクの絵画アカデミー付属の学校に入学し、6年間、両親とは離れて暮らした経験があるからです。もちろん、親とはしょっちゅう電話もし、休暇になれば家に帰っていましたが、それは一緒に暮らすのとはやはり違います。電話で話しているときも、親を心配させまいと、わたしは生活がとても大変なときでも、いつも、全て順調、大丈夫だよと言っていました。
© 写真 : Andrey Verhovtsev アンドレイ・ヴェルホフツェフ
 アンドレイ・ヴェルホフツェフ - Sputnik 日本, 1920, 10.04.2023
アンドレイ・ヴェルホフツェフ
スプートニク:あなたも孤独を感じることがありますか。
ヴェルホフツェフさん:わたしはその点ではラッキーだと思います。創作に没頭していれば、退屈することなんてないのです。ただ、わたしは常に自分に満足できない性分で、「これなら、まあまあかな」と思えるレベルになるまで、1日中、絵を描いていられます。一つの作品づくりをしながら、それ以外に2つ目、3つ目の作品に取り掛かることもあります。ですが、最終的にはすべてを仕上げなければなりません。わたしは、自分のペースで仕事しています。
お金のために働いている画家もたくさんいますが、わたしが創作活動をしているのは芸術を愛しているからです。そして自分自身が、自分の作品に対する批評家であり審判でもあります。というのも、満足度の基準は、自分自身が気に入るかどうかだからです。
日本ではロシア人との付き合いはほとんどありません。日本には17,000〜20,000人のロシア人が住んでいると言われていますが、ほとんどは東京や大阪といった大都市に暮らしています。小さな町には外国人はほとんどいません。
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スプートニク:日本に行こうと思っている外国人に言ってあげたいことはありますか。
ヴェルホフツェフさん:日本に行く意味があるかどうかと訊かれれば、もちろんあると答えます。日本は素晴らしい国で、信じられないほど清潔で、親切で、誠実な国です。日本でパスポートを紛失することなど絶対にありません。必ず警察に届けてもらえます。
一方、日本で生活し、仕事をするということは、自分自身に対する挑戦です。言葉を知らずに日本で生活するのは、気が遠くなるほど大変なことです。そうする場合はまず語学学校に通う必要があります。そのためには時間とお金が必要です。日本語ができるようになる人もいます。中にはかなり上達する人もいますよ。そして語学を学んだ後、仕事と家を見つけることになります。家はたいていの場合、小さなアパートです。最初の頃は話す人がいないかもしれません。彼女がいたとしても、多くの日本人と同じように、仕事から疲れて帰ってきて、テレビを見て、ビールを飲んでいるだけということもあります。
彼女が活動的な人だったとしたら、一緒に遊びに行くことになりますが、もう疲れて元気がないこともあります。もし彼女が1日中家にいるなら、それも大都市で孤独を感じます。それが何ヶ月も、何年も続けば、精神的な疲労が溜まってきます。
スプートニク:日本であった何か変わった出来事があれば、教えてください。
ヴェルホフツェフさん:あるとき、自動車の窓を閉めるのを忘れて、旅行に出かけたことがあるのですが、1ヶ月後に帰ってきてみると、その窓が段ボールできれいに塞がれて、留めてあったんです。2日も3日も、自動車の窓が開いたまま置いてあるのに気づいた人が、ああ、窓を閉め忘れたんだなと思って、車内に雨や埃が入ったら大変だと慮ってくれたのでしょう。それで段ボールを貼り付けてくれたんです。お礼など期待せずに、です。そういうエピソードは他にも色々あります。
こうした見知らぬ人への親切というのはとても心温まるものです。日本人は自分たちの世界を悪いものにするのではなく、ほんの少しより良いものにしているのです。
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