読売新聞が、日本政府の情報筋の話を引用してこのように報じている。
長崎訪問というアイデアは、決して自然発生的なものではない。 3月22日、広島市の松井一実市長と長崎市長の田上富久市長は、ラーム・エマニュエル駐日米国大使と面会し、バイデン大統領の被爆地訪問を求める書簡を手渡した。その当時、バイデン氏は5月に東京で開催された日米豪印(QUAD)の首脳会合に出席予定であったため、それに合わせる形で被爆地への訪問が提案されていた。
結局、このアイデアは実行に移されなかった。しかし2023年は、その実現に向けた前提条件がさらに整うことになった。12月13日、広島・長崎両市長は岸田文雄首相と会談し、広島で開催予定のG7首脳会議の議題に核軍縮を盛り込むよう要請した。この会談後、長崎の田上市長は、「核兵器保有国のトップが被爆地にそろうのは初めて。ここで平和、核軍縮、核兵器のない世界にどう近づいて行くのか議論されるのであれば、非常に大きな一歩になる」とサミットの意義についてこのように語った。さらに田上氏はこの会談で、広島サミットの直前に長崎で開催されるG7会合をめぐり、原爆資料館の視察やバイデン大統領の長崎訪問を要望したという。
日本では毎年、8月6日と9日に広島と長崎で原爆犠牲者の追悼式典が行われ、米国を含む世界各国の代表が出席する。しかし、何十万人もの罪のない人々が命を落としたことに対して、米国政府はまだ謝罪していない。 2016年、バラク・オバマ氏が現職の米国大統領として初めて広島を訪問した。大統領就任当初から核軍縮を訴えてきたオバマ氏にとって、広島訪問は画期的な出来事だった。当時、バイデン氏はオバマ政権の副大統領で、核兵器のない世界というオバマ氏の理想に共感していた。また、岸田首相は当時外務大臣を務めており、オバマ氏の広島訪問に同行した。ノーベル平和賞受賞者であるオバマ氏から謝罪の言葉が発せられるのを期待する声は多かったが、それはかなわなかった。
バイデン大統領は謝罪の言葉を口にするだろうか。ロシアのセルゲイ・オルジョニキーゼ元国連代表によると、その可能性は低いという。
「2016年、バラク・オバマ氏は広島と長崎への原爆投下について謝罪するつもりはないことを即座に明らかにした。ノーベル平和賞受賞者が広島記念館を訪れたのは、原爆を防ぐ努力の必要性を再認識させるものだった。バイデン大統領が訪日した場合、このようなステップに進むことはないだろう。実は米国人は、日本の都市への原爆投下が日本側への侵略行為であるとは思っていない。米国人の考えでは、真珠湾攻撃は日本が行ったものであり、原爆投下はその侵略国に対する報復行為というものだ。これに対する論争はあるだろうが、これが米国における一般的な見解だ。米国の指導者が広島・長崎への謝罪を拒んでいるのに、なぜ日本人が激怒しないかというと、いくつかの要因がある。1つ目の要因は、戦争を始めたのは日本であり、日本軍が中国の領土で蛮行を働いたなどの事実があるため、歴史上において過失を犯したという感情がある。
これについて日本は1950年代からアジア諸国との関係を修復してきた。謝罪し、賠償金を支払い、平和条約を締結し、巨額の資金を投入した。日本人は、米国からの謝罪にあまりこだわっていない。しかし、誰かがひざまづいて悔い改めればいいというものではない。核兵器を使用する軍事的必然性がなく、間違いであったことを認めるということなのだ。2つ目は、日本が安保条約によって米国と結びついていることだ。日本は今、自衛隊を強化し、防衛改革を行おうとしているが、依然として米国の力に大きく依存している。そして3つ目は、両国は協力な経済関係にあり、日本政府はこの関係に強い関心を抱いている点だ」
日本は1941年12月7日(日本時間では8日)、米軍太平洋艦隊の基地がある米ハワイ真珠湾を攻撃した。これにより、軍人を中心に2400人が命を落とした。その4年後の1945年8月、米国は広島と長崎の2つの都市に原子爆弾を投下した。広島では人口35万人のうち14万人、長崎では7万4000人が原爆が元で亡くなった。また、犠牲者の大半は民間人だった。