惠藤さんは神奈川県出身。母はヴァイオリニスト、伯父はチェリストという音楽家の家系に育った。音楽教室に通い始めた惠藤さんが選んだ楽器はピアノ。しかし、ピアニストになるには惠藤さんの小さすぎる手は不利だった。少し指が届かないだけでも音が変わってしまうし、手に力が入り、最悪の場合手を壊すということにもなりかねない。惠藤さんは、自分なりの弾き方を見つけなければならなかった。周囲から「ピアノはやめたほうがいい」と言われた時期もあったが、惠藤さんはピアノにひたむきに取り組み、桐朋学園大学院大学に進学。恵まれた環境で、存分に練習することができた。もっとピアノを極めたくなった惠藤さんは、大学の先生の紹介で、モスクワ音楽院で教鞭をとるエリソ・ヴィルサラーゼ先生の下で学ぶことになった。音楽院の実技試験にも合格し、急に決まったモスクワ行き。ソ連時代の暗い雰囲気を知る惠藤さんの母親は少し戸惑っていたが、最終的には快く送り出してくれた。
音楽院に行っても、すぐにレッスンを受けさせてもらえるわけではなかった。惠藤さんの指導教授ヴィルサラーゼ先生は、ソ連とジョージアの人民芸術家。現役ピアニストでもあり、多数の優れたピアニストを輩出した名指導者でもある。ヴィルサラーゼ先生は生徒を多数抱えており、長い時には朝9時から夜10時までレッスンがつまっていた。待機していても先生は惠藤さんを指名してくれず、時には「あなたのレッスンをする時間はない」ときっぱり言われることもあった。私はここにはいられない、という気持ちが頭をよぎったが、惠藤さんは「他の人のレッスンを聞くのも練習」と前向きに考え直し、ひたすら聞き続けた。ヴィルサラーゼ先生本人ではなくアシスタントに指導を受け、初めの2年間が過ぎた。
惠藤さんはヴィルサラーゼ先生について「最初の2年間レッスンを見てもらえなかったのは、私にとって、とてもプラスになりました。先生は何かを押し付けるのではなくて、生徒が自発的に動くことをリードするのが上手い方なんです」と話す。
めきめき実力をつけた惠藤さんは、モスクワ国際フェスティバルコンクールや、一時帰国して参加した日本演奏家コンクールで優勝。ロシア留学の成果は、まずメンタル面に現れた。惠藤さんは日本演奏家コンクールについて「ロシア生活で精神的に鍛えられて、物事に動じなくなっていたので、珍しく緊張せずに演奏できました。曲も、先生に良いと言ってもらえるまで練習したものを持っていったので、少しだけ自信がありました」と振り返る。
音楽を通じて知り合った両親のように、惠藤さんにもまた、運命の出会いが訪れた。音楽院で学び始めて4年目、未来の伴侶となる佐藤彦大さんが留学してきたのだ。佐藤さんもまた、日本音楽コンクールやバルセロナのマリア・カナルス国際音楽コンクールで優勝を飾った実力派ピアニストだ。2人はすぐに意気投合し、ヴィルサラーゼ先生の指導を受けて切磋琢磨し合った。昨年11月末には在ユジノサハリンスク日本領事館の招きでサハリンでコンサートを行い、佐藤さんとの連弾を披露して、ロシアのテレビでも紹介された。留学を終えた2人は揃って帰国し、ヴィルサラーゼ先生ともいったんお別れになったが、淋しい雰囲気は全くなかった。ヴィルサラーゼ先生は日本で指導する機会も多く、今年中にも来日する予定がある。音楽の世界にいれば、必ずどこかでつながっているのだ。
ピアニストとして、指導者として、ひとり立ちした惠藤さん。これからロシアに音楽留学しようという人にエールを送ってもらった。「まだ日本では、ロシアに対して怖いイメージしかないと思うので、わざわざロシアまで行こうという人は、本当に音楽が好きな人ばかりだと思います。モスクワ音楽院の中でも、先生によってレベルも指導内容も異なりますが、行くからには辛くてもあきらめず、自分の目指すものを目指してほしいです。」