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【解説】ウクライナ当局が9年前にドンバスで開始した対テロ作戦とはどのようなものだったのか
【解説】ウクライナ当局が9年前にドンバスで開始した対テロ作戦とはどのようなものだったのか
Sputnik 日本
... 2023年4月7日, Sputnik 日本
2023-04-07T22:47+0900
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クーデターミコラ・アザロフ氏が首相を務めるウクライナ政府は2013年11月21日、ウクライナと欧州連合(EU)の連合協定締結に向けた「準備プロセスを一時停止する」ことを決定した。これを受けて同日、首都キエフ中心部で後に「ユーロマイダン革命」と呼ばれる大規模なデモが行われた。その後、同年11月28、29両日にリトアニアの首都ヴィリニュスで開かれたEU首脳会談で、ウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ大統領(当時)が協定に署名するためにはさらに協議する必要があるとするウクライナ指導部の立場を示し、協定の締結を拒否した。抗議デモはすでに大統領を批判する抗議活動に変わっており、暴力的な性格を帯び始めていた。それからまもなくしてクーデターが起こり、これに先立ってヤヌコビッチ大統領と野党の間で政治的危機の解決に関する合意が締結されてたにもかかわらず、野党指導者とマイダン革命の活動家たちが権力の座に就いた。ウクライナ最高会議(議会)議長だった野党のトゥルチノフ氏が、ウクライナの大統領代行に任命された。一掃すべきは自国の市民それともテロリスト?ウクライナ南東部の人々は、キエフに陣取る新政権の正当性と、彼らが選んだ欧米への接近路線を認めなかった。2014年3月に入ると連邦制への移行を支持し、その是非を問う住民投票の実施を求める人々が集会を開いた。彼らはドネツクとハリコフにある地方政府庁舎と、ルガンスクにあるウクライナ保安庁の地域庁舎を管理下に置いた。4月7日、トゥルチノフ大統領代行はウクライナ東部に「危機対策本部」を設置し、「武器を手にしたすべての人々」に対して「反テロ対策」を実施すると発表した。同月14日、トゥルチノフ氏は軍を動員して東部で「大規模な対テロ作戦」を行うことを命じる大統領令に署名した。それからまもなくしてドンバスの町にウクライナの軍や治安機関、武装集団が集結した。5月11日、ドネツク州とルガンスク州で住民投票が実施され、その翌日、ドネツク人民共和とルガンスク人民共和国の主権が宣言された。その後、対立が激化した。ウクライナの軍や治安機関、武装集団と地元の民兵たちの消火器を用いた衝突は、装甲車両や戦闘機を使用した本格的な戦闘に様変わりし、砲撃が始まった。2015年に紛争が激しくなり、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国はドネスク州とルガンスク州の一部を奪還することに成功した。これに続いて2014年9月5日、和平合意「ミンスク合意」が結ばれ、2015年2月11日から12日にかけて和平合意「ミンスク2」(ミンスク合意履行に関する一連の措置)が締結された。この合意は、停戦、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国への特別な地位の付与、住民投票の実施などを定めていた。ミンスク合意は履行されず、武力衝突やウクライナ軍による平和な都市への砲撃が続いた。関連記事
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ウクライナ危機, ドンバス, 戦争・紛争・対立・外交
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【解説】ウクライナ当局が9年前にドンバスで開始した対テロ作戦とはどのようなものだったのか
9年前の4月7日、ウクライナの大統領代行を務めていたオレクサンドル・トゥルチノフ氏が、ルガンスク州、ドネツク州、ハリコフ州の当時のウクライナ東部3州に「危機対策本部」を設置し、「武器を手にしたすべての人々」に対して「反テロ対策」を実施すると発表した。スプートニク通信が、それはどのようなものだったのか、どうやって始まったのかを振り返る。
ミコラ・アザロフ氏が首相を務めるウクライナ政府は2013年11月21日、ウクライナと欧州連合(EU)の連合協定締結に向けた「準備プロセスを一時停止する」ことを決定した。これを受けて同日、首都キエフ中心部で後に「ユーロマイダン革命」と呼ばれる大規模なデモが行われた。その後、同年11月28、29両日にリトアニアの首都ヴィリニュスで開かれたEU首脳会談で、ウクライナのビクトル・
ヤヌコビッチ大統領(当時)が協定に署名するためにはさらに協議する必要があるとするウクライナ指導部の立場を示し、協定の締結を拒否した。
抗議デモはすでに大統領を批判する抗議活動に変わっており、
暴力的な性格を帯び始めていた。それからまもなくしてクーデターが起こり、これに先立ってヤヌコビッチ大統領と野党の間で政治的危機の解決に関する合意が締結されてたにもかかわらず、野党指導者とマイダン革命の活動家たちが権力の座に就いた。ウクライナ最高会議(議会)議長だった野党のトゥルチノフ氏が、ウクライナの大統領代行に任命された。
ウクライナ南東部の人々は、キエフに陣取る新政権の正当性と、彼らが選んだ欧米への接近路線を認めなかった。2014年3月に入ると連邦制への移行を支持し、その是非を問う住民投票の実施を求める人々が集会を開いた。彼らはドネツクとハリコフにある地方政府庁舎と、ルガンスクにあるウクライナ保安庁の地域庁舎を管理下に置いた。
4月7日、トゥルチノフ大統領代行はウクライナ東部に「危機対策本部」を設置し、「武器を手にしたすべての人々」に対して「反テロ対策」を実施すると発表した。同月14日、トゥルチノフ氏は軍を動員して東部で「大規模な対テロ作戦」を行うことを命じる大統領令に署名した。それからまもなくしてドンバスの町にウクライナの軍や治安機関、武装集団が集結した。
5月11日、ドネツク州とルガンスク州で住民投票が実施され、その翌日、
ドネツク人民共和とルガンスク人民共和国の主権が宣言された。その後、対立が激化した。
ウクライナの軍や治安機関、武装集団と地元の民兵たちの消火器を用いた衝突は、装甲車両や戦闘機を使用した本格的な戦闘に様変わりし、砲撃が始まった。2015年に紛争が激しくなり、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国はドネスク州とルガンスク州の一部を奪還することに成功した。
これに続いて2014年9月5日、
和平合意「ミンスク合意」が結ばれ、2015年2月11日から12日にかけて和平合意「ミンスク2」(ミンスク合意履行に関する一連の措置)が締結された。この合意は、停戦、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国への特別な地位の付与、住民投票の実施などを定めていた。ミンスク合意は履行されず、
武力衝突やウクライナ軍による平和な都市への砲撃が続いた。