【人物】三島由紀夫『鏡子の家』の露訳が初刊行 翻訳者にスプートニクが独占取材

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ロシア語版『鏡子の家』 - Sputnik 日本, 1920, 18.04.2023
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独占記事
今年の4月、三島由紀夫作『鏡子の家』の初の露訳が刊行される。今までに三島作品は大半がすでに露訳されており、読者に大きな反響を呼んでいることから、『鏡子の家』の刊行は出版業界には目覚ましい出来事となっている。スプートニクは三島作品の『鏡子の家』と『豊饒の海』の翻訳を手掛けたエレーナ・ストルーゴワ氏に独占取材を行った。

「三島は私にとってはバリューの大きな存在です」

2000年代の初め、サンクトペテルブルクの「シンポジウム」出版社は三島の4部作『豊饒の海』の翻訳を出そうと決めた。三島作品をロシア語の読者らに初めて紹介したチハルシチシヴィリ氏は何らかの理由で翻訳が担当できなかったため、ストルーゴワ氏に白羽の矢が立てられた。

「私がはじめに知っていたのはカルト的な作家であり、強烈な個性の持ち主だということだけでした。『豊饒の海』の翻訳には数年を要しました。大がかりな文学作品を手掛けるのは初めてだったこともあります。

 以来、三島作品を読むにしろ、訳すにしろ、私はすべての登場人物の中に飛びぬけた才能を持つ人間の特徴を探します。長編小説『豊饒の海』はアズブカ=アチクス出版が選んだのですが、私にとっては作家の名前はバリューが大きかったです。作品はかなり長く、翻訳には5か月近くかかりました」

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「自分の訳した本は全部気に入っています」

『鏡子の家』は1959年、2年の執筆期間を経て、刊行された。作家は『金閣寺』との対比を意図したという。文芸評論家の評価は真っ二つに割れた。奥野健男氏は「傑作」と絶賛したが、平野謙氏、江藤淳氏はこぞって「完全な失敗作」とこき下ろした。

「当時の評価について語るのは私にはとても難しいです。よその国の違う時代の話ですから。ただ、僭越ながら、あえて推測しますと、当時の読者には時代の生活描写が複雑すぎたり、突飛だったのではないでしょうか。もっと現実に即したものを求めたのかもしれません。

 でも、小説が提起したテーマは時代を超越したものです。つまり、自立した人生に踏み出した青年たち。自分の使命、キャリアの探求、幻想の崩壊、才能の重荷、魂の動揺。これらは全て、世界と同じくらい古くから変わらず存在する問題ですが、小説の中の若者たちはなんとか解決したり、または悲劇的に解決できないでいる。そのそれぞれの運命がいたずらに絡み合って表現されています。異なる言語の読者に作品の内容を伝えるには、翻訳者は作家の構想の意味により深く入り込む必要があるのです。だから私は自分が訳した本はみんな好きなのです」

三島の文体をロシア語で伝えるということ

三島由紀夫の文体をロシア語で伝えることについて、ストルーゴワ氏は言語のあまりにも大きな違いが邪魔してほぼ不可能であるものの、唯一、手がかりになるとすれば、それは文章の長さだと語る。

「三島の作品は内容的に複雑です。それは知識に長けた作家が古今の哲学的な教義や潮流から類似例に引用したり、中国の古詩を引いたり、様々な流派の画家の創作を詳細に描写したりしているからです。いわゆる現実をロシア語で伝えるのは難しいことが常で、小説で描かれている当時にはある特徴を持っていたものも、今では違う受け止めかたをされているからです。たとえば、これは私自身にとって発見だったのですが、登場人物のひとり、画家の家には当時はまだ外国製品であった『空気冷却装置』があって、これを今の言葉の『エアコン』と訳したとしたら、おかしなことになってしまうでしょう」

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日本語専門家、翻訳者となるまで

ストルーゴワ氏の話によれば、モスクワ国立大学付属アジア・アフリカ諸国大学では日本語は基礎単位科目の位置づけだったものの、学生らは、20世紀前半の偉大なロシア人研究者、翻訳家らが日本語を学ぶ学生用に作成した学習計画に沿って勉強していた。ロシアにおける日本研究の基礎を築いたのはまさにこの人たちだった。
ストルーゴワ氏はソ連科学アカデミー東洋学研究所の修士課程を卒業後、モスクワ国立大学アジアアフリカ語大学で30年以上教鞭をとった。この間、実践的な日本語を教え、日本語の理論の講義を行い、「自分のために」文学作品を翻訳してきたが、この文学の翻訳が今の活動の主流となった。

「勉強し、教師として働いてきた歳月はきっと翻訳活動の土台となって残り続けるはずです。なんとか言語レベルを引き上げようといろいろ頑張っています」

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