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【特集】日本バレエは3人のロシア人バレリーナが源流 現代ロシアバレエダンサーがその伝統を継承
【特集】日本バレエは3人のロシア人バレリーナが源流 現代ロシアバレエダンサーがその伝統を継承
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バレエほど、ロシアと日本を長きにわたって固く結びつけているものはない。 1912年に来日したイタリア人演出家のジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー(Jiovanni Vittorio... 2023年8月28日, Sputnik 日本
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しかし当時、日本にはクラシック・バレエを専門的に教えることができる人はいなかった。それが、もう1人のパブロワ、エリアナの出現で事態が大きく変わった。 プロのバレリーナだった彼女は母親と妹とともに1920年にハルピンから日本に移住してきた。1925年、エリアナ・パブロワは日本初のバレエ団を組織し、2年後には鎌倉にバレエ学校を開校。これが日本のバレエを発展へ導く端緒を開いたのだ。1936年、2人目のロシア人バレリーナが来日する。マリインスキー劇場で踊っていたオリガ・サファイアことオリガ・パブロワである。 1933年、彼女は在ソ連日本大使館に勤務していた外交官、清水威久と結婚した。日本では「日劇」(日本劇場)に教師・振付師として入団し、日本国立バレエ団の創設に貢献した。これが功を奏し、1957年のボリショイ・バレエの初の日本公演では、日本の観客の心はすでにバレエが感受できるまでに開かれていた。ボリショイ・バレエで日本人初のソリストを務めた岩田守弘さんは、日本でバレエが普及したのは「3人のパブロワ」のおかげだという。現在、岩田さんはその経験と知識をもとに、ロシア・バレエ学校とボリショイ・バレエのメソッドをベースにした、バレエダンサーのためのトレーニング・システムを日本で構築している。1960年代以降、日本にもバレエ学校やバレエスタジオが開設され、ロシア出身のバレエ教師やバレエマスターが指導にあたった。 この伝統は今日まで続いている。スプートニクは、東京・世田谷区にあるチャイカ・バレエスタジオの創設者、ディレクター、教師である村田レナさんをご紹介したい。スプートニク:「チャイカ・バレエ・スタジオがどのようにして出来たのか、その歩みを教えてください。スプートニク:「チャイカ」には小さな子どもからティーンエイジャーまで練習に参加しています。たくさんの人が参加を希望されていますか? 日本人の子どもだけですか、それともハーフの子もいますか?男の子は女の子より少ないのでしょうね?スプートニク:バレエを見ていると、ダンサーは舞台を軽々と飛び回っているように見えますけれど、かなりきつい仕事ですね。 あなたのクラスはどうですか?スプートニク:子どもたちにはよく舞台に立つチャンスはありますか? また、バレエの演目は誰が考え、衣装はどのように準備してますか?スプートニク:バレエを習っている子どもたちの親御さんたちとのおつきあいはうまくいっていますか?スプートニク:日本に住んで何年になりますか、日本語はマスターしましたか、日本のどこが好きですか?もちろん、バレエ学校の生徒全員がプロのダンサーになれるわけではない。 しかしバレエを習うことで忍耐力と決断力が養われ、上品さと優雅さが育まれ、美を理解できるようになる。子どもはクラシック音楽の名曲に触れて聴力や演技力を養う。それはダンスという言語を通じてさまざまな感情を伝える必要があるからだ。そして、成長してもバレエをあきらめない子どもたちは、森下洋子さんや岩田守弘さんのように、将来、日本のバレエの名を世界にとどろかせる存在になるかもしれない。村田レナ5歳からクラシックバレエを始める。2005年、キエフ国立芸術文化大学を首席で卒業(講師ライセンスを取得)。国立舞踊「Kaleidoscop」メンバーとして海外公演 (ベルギー、フランス、ドイツ等)参加。バレエシアター「Fatа Morgana」メンバーとして日本公演に参加。安室奈美恵、エアロスミス、バックダンサー、そのほか企業CMやミュージックビデオ等の振り付けを担当。関連ニュース
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【特集】日本バレエは3人のロシア人バレリーナが源流 現代ロシアバレエダンサーがその伝統を継承
2023年8月28日, 18:00 (更新: 2023年8月29日, 02:31) バレエほど、ロシアと日本を長きにわたって固く結びつけているものはない。 1912年に来日したイタリア人演出家のジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー(Jiovanni Vittorio Rossi)は、帝国劇場でオペラとバレエを日本人に紹介したが、バレエを日本人に「親しませる」という試みはあまり成功しなかった。ところが、10年後の1922年、ロシアの有名なバレリーナ、アンナ・パブロワの来日公演ですべてが変わった。 彼女の才能は日本の観客を魅了した。そして、多くの若者が自分もバレエを習いたいと思いはじめた。
しかし当時、日本にはクラシック・バレエを専門的に教えることができる人はいなかった。それが、もう1人のパブロワ、エリアナの出現で事態が大きく変わった。 プロのバレリーナだった彼女は母親と妹とともに1920年にハルピンから日本に移住してきた。1925年、エリアナ・パブロワは日本初のバレエ団を組織し、2年後には鎌倉にバレエ学校を開校。これが日本のバレエを発展へ導く端緒を開いたのだ。
© 写真アンナ・パブロワ
© 写真オリガ・パブロワ
1936年、2人目のロシア人バレリーナが来日する。マリインスキー劇場で踊っていたオリガ・サファイアことオリガ・パブロワである。 1933年、彼女は在ソ連日本大使館に勤務していた外交官、清水威久と結婚した。日本では「日劇」(日本劇場)に教師・振付師として入団し、日本国立バレエ団の創設に貢献した。これが功を奏し、1957年のボリショイ・バレエの初の日本公演では、日本の観客の心はすでにバレエが感受できるまでに開かれていた。ボリショイ・バレエで日本人初のソリストを務めた岩田守弘さんは、日本でバレエが普及したのは「3人のパブロワ」のおかげだという。現在、岩田さんはその経験と知識をもとに、ロシア・バレエ学校とボリショイ・バレエのメソッドをベースにした、バレエダンサーのためのトレーニング・システムを日本で構築している。
1960年代以降、日本にもバレエ学校やバレエスタジオが開設され、ロシア出身のバレエ教師やバレエマスターが指導にあたった。 この伝統は今日まで続いている。スプートニクは、東京・世田谷区にある
チャイカ・バレエスタジオの創設者、ディレクター、教師である村田レナさんをご紹介したい。
スプートニク:「チャイカ・バレエ・スタジオがどのようにして出来たのか、その歩みを教えてください。
村田レナさん:私の日本での指導者としてのキャリアが始まったのは2015年。東京の有名な新体操クラブに招かれてバレエを教えたことがきかっけです。そこには、自分たちの仕事に情熱を持っている力強いコーチ陣がいました。いい経験でしたが、私にも実現したい夢がありました。わたしの3人の子どものうち、下の子2人はバレエを習いたがっていたのです。
子どもたちの願いと私の叶えられなかった夢が原動力となって、2018年に「チャイカ」バレエスタジオが誕生しました。そしてすべてがうまく運んだのです。空きスタジオを見つけ、ほそぼそとグループを募り、数カ月後には初めての発表会を開くまでに至りました。クラスの指導はすべて私自身が行っています。そんな中から、将来、私と共に指導を助けてくれる存在が育つのをとても待ちわびています。
スプートニク:「チャイカ」には小さな子どもからティーンエイジャーまで練習に参加しています。たくさんの人が参加を希望されていますか? 日本人の子どもだけですか、それともハーフの子もいますか?男の子は女の子より少ないのでしょうね?
村田レナさん:バレエは日本でとても人気があります。うちのスタジオで習いたいという人もたくさんいます。 今は来ておられるのは未就学児から中学生、大人までで、そのうちの3分の1くらいはハーフの子や外国人です。もちろん男の子は女の子より少ないですが、そのかわりすごく意欲的ですよ。
スプートニク:バレエを見ていると、ダンサーは舞台を軽々と飛び回っているように見えますけれど、かなりきつい仕事ですね。 あなたのクラスはどうですか?
村田レナさん:はい、バレエは実は重労働なんです......。私たちのスタジオはすべてが本格的です。私たちが学ぶ古典舞踊(バレエ)はアグリッピナ・ワガノワのメソッドに従っています。ワガノワは、ロシア流のバレエの端緒を開いた人物です。バレエ体操やストレッチをします。小学校高学年の女の子にはポワント(トウシューズ)レッスンがあります。これらはすべてが将来本格的にバレエをやりたい人たちにとってはしっかりとした基礎となります。
レッスン中はフレンドリーな雰囲気です。レッスンでうまくいかなかったとしても、生徒一人一人が気持ちよく家に帰り、もっと頑張ろうという気持ちになってくれることが、私にとってとても大切です。 学校教育でバレエの授業も体育の授業と同等に、カリキュラムに取り入れられたらどんなにいいでしょう。バレエは、自分の身体を感じ、コントロールする能力、規律、人格形成、観客の前で演技する能力だけでなく、将来成功するための鍵となる知性や美的センスを成長させてくれるからです。
スプートニク:子どもたちにはよく舞台に立つチャンスはありますか? また、バレエの演目は誰が考え、衣装はどのように準備してますか?
村田レナさん:年に3回、バレエコンサートを開催しています。個人の能力を発表するバリエーションコンサートです。他にもチームとして能力を発揮する発表会やニューイヤーコンサートがあります。また、定期的に街のイベントや様々なコンサートプログラムにも参加しています。
ソリストたちは、全日本バレエコンクールや国際バレエコンクールに出場し、入賞を果たしています。舞台の演出は私の仕事の中で一番好きな部分です。コンサートの演目は多岐にわたります。衣装は既製品を購入して、それに飾りをつけたり、帽子やその他のアクセサリーを作ったり、注文して作ってもらったり、いろいろです。
スプートニク:バレエを習っている子どもたちの親御さんたちとのおつきあいはうまくいっていますか?
村田レナさん:うちのスタジオの保護者の方々はみなさん素晴らしい人ばかりです!もし親御さんたちの助けがなかったら、おそらくスタジオは成立していなかったでしょう。「チャイカ」はたくさんの良い人たちが知り合い、親交を結ぶ場となってきました。ここにいらっしゃるのは、みなさん、バレエを習いに来るだけじゃなくて、よいお付き合いのためでもあるんです。卒業したり引っ越しした後も、生徒や保護者の方々と連絡を取り合っています。卒業生がコンサートに来てくれるのはとても嬉しいことです。
スプートニク:日本に住んで何年になりますか、日本語はマスターしましたか、日本のどこが好きですか?
村田レナさん:私はセヴァストポリで生まれ育ちました。私は18歳で初めて日本に来ました。結婚してから20年以上になります。素敵な夫とかわいい子どもたちがいます。数年間、中川先生の語学学校へ通いました。おかげ様で日本語は1級です。日本が大好きになりました。
日本のすべてが好きです。日本の親戚とも親しくつきあっています。友人や知人もたくさんいます。 でももちろん、自分の家族やセヴァストポリ、黒海が恋しいです。だから私たちのスタジオの名前は「チャイカ(日本語訳で“かもめ”の意味)」なのです。
そして、私は自分の仕事がとても好きで、毎回スタジオに走ってきます。いいえ「飛んで」きます。私がバレエを愛するように、生徒たちもバレエを愛してほしいと心から願っています。生徒たちのバレエへの燃えるような眼差しをみると、私のその願いは叶えられているなぁと思います。新しい出会いをとても嬉しく思っていますし、協力は惜しみません。最後に、日本とセヴァストポリの家族、友人、私にダンスを教えてくれた先生たち、生徒たちとその親たち、そして私たちを支えてくれるすべての人たちに感謝の気持ちを伝えたいと思います!
もちろん、バレエ学校の生徒全員がプロのダンサーになれるわけではない。 しかしバレエを習うことで忍耐力と決断力が養われ、上品さと優雅さが育まれ、美を理解できるようになる。子どもはクラシック音楽の名曲に触れて聴力や演技力を養う。それはダンスという言語を通じてさまざまな感情を伝える必要があるからだ。そして、成長してもバレエをあきらめない子どもたちは、
森下洋子さんや
岩田守弘さんのように、将来、日本のバレエの名を世界にとどろかせる存在になるかもしれない。
5歳からクラシックバレエを始める。2005年、キエフ国立芸術文化大学を首席で卒業(講師ライセンスを取得)。国立舞踊「Kaleidoscop」メンバーとして海外公演 (ベルギー、フランス、ドイツ等)参加。バレエシアター「Fatа Morgana」メンバーとして日本公演に参加。安室奈美恵、エアロスミス、バックダンサー、そのほか企業CMやミュージックビデオ等の振り付けを担当。