ウクライナでの露特別軍事作戦

【全文】「ウクライナ症候群」宇が禁止の野党メドベチュク党首、紛争の発端と予期する結末を語る

ウクライナが活動を禁止する「野党プラットフォーム―生活党」の元党首のビクトル・メドベチュク議員は、「欧米の政治家の大半はウクライナの平和など一切望んでおらず、反対に、平和を訴える人々は、西側から『西側の民主主義に適合しない』として言いがかりをつけられ、誹謗中傷され、脅迫されている」と述べた。
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ウクライナ人政治家のメドベチュク氏は「野党プラットフォーム―生活党」の元党首。メドベチュク氏は2022年4月12日、国家反逆罪の容疑でウクライナの治安当局に逮捕さたが、ウクライナとロシアが交わした捕虜交換でロシアに渡った。今回、ロシアへ移動後、初めてロシアのメディア向けに記事を執筆した。
大半の欧米の政治家たちの話を聞いていては、このウクライナ紛争の意味やメカニズムは全く理解不可能だ。バイデン米大統領は、紛争への米軍の直接的な関与を否定しているが、一方で、随所で米国がウクライナに数十億ドル相当の武器を供与と報じられているではないか。ウクライナの軍需に何十億ドルも費やされているのであれば、米国にとってウクライナの国益は異常なまでに重要だということになる。しかし、米軍が参戦は望まないというのであれば、それほど重要ではないのかもしれない。ならば数十億ドルに上る、この供与は一体何なのだろうか? 無償の援助? 儲かるビジネス? 投資だろうか? 答えはない。
例えば、メルケル元独首相の先日の明言では、ミンスク合意はウクライナに時間を与えるためのものだった。ということは、平和を樹立させる気など誰にもないことを示している。つまり、ロシアは騙されていたわけだ。しかし、何のために? ウクライナを守るためか、それとも自分たちが攻撃するためか? ドイツの推奨を遂行すればよかったのなら、なぜ騙す必要があったのだろうか? それともドイツは、もともと実行不可能なことを推奨していたのだろうか。まず、出来上がってしまった現状を覆う霧を払拭するために、事の発端を分析することから始めたい。
ウクライナでの露特別軍事作戦
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冷戦はどのように終わったのか?

いかなる戦争でもその発端には、前に終わった戦争の結果が影を落としている。ウクライナ紛争に先行したのは冷戦だ。その成果を紐解くことで、ウクライナはおろか、多大な国に悪影響を及ぼしている、この紛争の意味の理解に我々は近づくことができる。欧米諸国とポストソビエト諸国、特にロシアとでは、実は冷戦の結果の受け止め方は異なる。
西側はこぞって冷戦の勝利は我にありと考えており、ロシアは敗者扱いだ。つまり、ロシアは負けた国である以上、旧ソ連や社会主義陣営の領土は、敗者の原理では米国やNATOが正当に得た獲物であり、その統制下に移行することになる。したがって、ウクライナは米国とNATOの影響下にある領土であり、ロシアの影響など全く及ぶべくもない。このため、ロシアがウクライナの政治にどれだけ影響力をもとうと、この地域において国益擁護の主張はすべて「根拠に欠け」、米国とNATOの権益を明らかに侵害する試みとなる。1990年代初頭、当時の英首相マーガレット・サッチャー氏は「もはや、世界は東西関係というプリズムを通して見る必要はない。冷戦は終わった」と宣言した。つまり、東側世界におけるロシアの地位はもはや重要ではない。ベクトルは1つ、世界の主は1人、勝者は1人。    
ロシアは自らを敗者だとは思っていない。冷戦からの脱却は、政治、経済の民主的改革によってもたらされ、軍事的対立は、西側との貿易と統合に取って代わられた。つまり、昨日の敵が今日の味方になった。とすれば、これは勝利ではないだろうか? ソ連、そしてロシア連邦が目的に据えていたのは冷戦の勝利ではなく、核の破滅に終わりかねなかった東西の軍事的対立を脱することだった。ロシアは米国とともにこの脱却方法を見い出し、自分たちのためというより、世界全体のために目的を達成したのである。 
冷戦の結末とは、西側による東側世界の吸収でもなく、ポスト・ソビエト圏は経済、法、文化的に従属させられたわけでもなかった。それは、政治、経済の新たな現実のために対等に協力し、これを共同で建設することを意味した。つまり、冷戦の終結には異なる2つのアプローチがあることがわかる。一方では勝者の勝利、他方では新たな世界と文明の建設。今後の展開もこの2つの異なるアプローチに立脚していくことになる。

新世界か、それとも欧米の新植民地か?

1991年にソ連が崩壊し、1992年には欧州連合(EU)が誕生。これにロシアをはじめとするポストソ連圏は大きな期待を寄せた。ロシアは、旧社会主義陣営やソ連の他の国家と同様に、自分も将来的にはこの連合の対等な一員になると考えており、「リスボンからウラジオストクまでの欧州」というドクトリンが構築されていく。
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そうした状況でロシアはドイツの再統一だけでなく、かつての同盟国、さらには旧ソ連諸国のEU入りを歓迎していた。1990年代のロシアにとって先行していたのは西側との経済統合であり、それを近代国家として成功するための鍵であると考えていた。一方でロシア指導部には、ウクライナをはじめとする旧ソ連諸国を束縛する意向は特にはなかった。旧ソ連諸国の大半は中央、つまりロシアからの補助金で生き延びていた。この構図はこれらの国の指導者にとって好都合だったが、諸国も経済的負担から一刻も早く解放されたいと努力していた。
ロシアはウクライナより早く欧州市場に組み込まれはじめた。なにしろ、ロシアは欧州で需要のある膨大なエネルギー資源を有すが、一方のウクライナは欧州向けの価格でエネルギー資源を買う状態にない。ウクライナの独立は、この瞬間にも激しい戦闘が行われている南東部がなければ、経済崩壊に終わった可能性が高い。ウクライナ南東部は巨大な生産能力と発達した産業を有しており、ウクライナを新国際分業体制に組み入れることができた。これは口に出して語られることはないが、1990年代、ウクライナを経済的に救い、そのおかげで政治的独立をも譲らずに済んだのはロシア語圏であるウクライナ南東部だった。
ここで別の事に目を向けていただきたい。1990年代以降、欧州で、そしてその境界線で、何百万人もの市民を巻き込んだ深刻な民族紛争や戦争が次々と勃発し始めた。これほど多くの民族間の争いは1991年の前にはなかった。このすべてがユーゴスラビアの崩壊、グルジア(ジョージア)、モルドバ、シリアの独自の統合力の喪失を招いた。欧州統一の規範からすれば、これは何も意味しない。なぜなら欧州統一の目的は欧州を多数の小国に分割することではなく、民族の別を超越する巨大な超国家的連合を作ることであり、これらの民族は互いを絶滅させることも、国境を増やすことも必要なく、共通の新世界を共に構築することを目指すからだ。それのどこが悪いのだ、ということになる。
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ところが冷戦を西側の勝利とする概念に立脚すると、民族紛争は全く違った意味を持つ。そして、この意味については何度も公言されてきた。例えば、1995年10月24日、米国統合参謀本部会議でクリントン米大統領は、「我々はソ連外交の失策と、ゴルバチョフおよび公然と親米派に回った、彼の側近らの極度の傲慢さを利用して、トルーマン大統領がソ連に対して原爆を用いてやろうとしていたことを実現した」という声明を表している。
このことから、欧米の政治家がこぞって公正な新世界を作ろうと思っていたわけでは全くない、ということがわかる。彼らの課題はソ連、ユーゴスラビアなど、敵を破壊することだった。民族対立を劇化させることは極めて理にかなっていた。紛争は敵を弱体化させる。勝利に終わった場合は、勝者が容易に吸収できるよう、その国をバラバラに分断するのに役立つからである。
そのような状況下では、現実は何の意味もなさない。なぜなら状況には常に意図的な揺さぶりがかけられているからだ。国内の特定地域に固まって暮らす少数民族は分離主義者であり、国家にとっての脅威と扱われる。こうした作戦は古代ローマの時代からよく用いられてきた。今、新たな奴隷帝国を建国しようなどと言う話は持ち上がっていないように見える。それとも現実に、そうした話があるのではないか? 例えば、米国は、旧ソ連圏は巨大帝国の諸地方から成り立っており、その諸地方は大帝都(編集:ロシア)を追従しており、帝国への服従を拒んだ場合、野蛮人扱いされるとみなしているのではないだろうか?
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つまり、我々が目にしているのは2つの政治戦略だ。1つは互恵を最優先とする各国が経済的・政治的に統合される戦略、もう1つは、特定の国が他の諸国を吸収する戦略。その場合、吸収される側の国益は考慮されない。その場合にこれらの国自身がバラバラに分断されてしまったり、追放され、征服される恐れがある。
ロシア連邦は政治、経済の路線を劇的に変更し、危機から脱するに従い、ロシアを弱体化させ、蔑み、不利益な立場においやりたいという明確な欲求に直面している。経済的なポテンシャルは向上しているにもかかわらず、ロシアはならず者国家呼ばわりされる頻度が増えた。経済的潜在力が高まれば、国の影響力は強まり、これは欧米諸国では歓迎されるべきことだ。しかし、真逆のことが起きている。ロシアの影響力は歓迎されないばかりか、間違いで、犯罪的で腐敗していると決めつけられている。
この箇所は詳しい説明を要する。つまり、ロシアは西側の民主主義を手本に改革を進め、西側世界の一員となりつつある。欧州共通の家を作るという意味では、これは歓迎し、奨励すべきことだ。欧州は平和で経済的に豊かなパートナーとその市場、資源を手に入れることで、間違いなく桁違いの強さを発揮する。だが、植民地的な考え方に導かれるなら、我々は遠く離れた植民地の経済成長や自治は絶対に容認はできない。地方は財政、政治、文化のいずれにおいても大都市を凌駕してはならない。
かつて経済の新たな現実の構築に取り組んでいたEUがある一方で、NATOも存在する。1949年に設立されたNATOは、ソ連、そしてロシアをはじめとする東陣営と対立していた。NATOのヘイスティングス・イスメイ初代事務総長の。「欧州の外にソ連を、内側に米国を置き、ドイツを下に置け」という言葉を思い出してほしい。NATOのイデオロギーとはつまり、欧州における米国であり、しかもその米国の地位は支配的であるが、ロシアは欧州には存在しない。
では、ロシアはこれにどう対処すべきだろうか? ロシアは誠実に冷戦を終わらせたというのに、どうやら米国やNATOの方はそうではない。ということは、ロシアのために用意された西側諸国との統合の条件は対等ではなく、経済的、政治的な吸収であったことが判明した。ロシアが、NATOに自国との国境への接近を止めさせ、立場と合意の見直しを迫る理由はまさにここにある。そして今、私たちはNATO構想がロシアの欧州への統合を破壊しただけでなく、欧州の拡大と発展に終止符を打ったことを目の当たりにしている。つまり、先に挙げた2つの戦略アプローチのうち、1つがもう片方を明らかにねじ伏せたわけだ。

ロシアとウクライナ 関係の悲劇

大局的な見方から、今度はロシアとウクライナの関係に直接目を向けよう。この両国の関係は特殊である。ウクライナは300年以上もロシアの一部であり、その影響は文化、民族構成、精神性などに出ている。1991年、ウクライナは独立を民族解放闘争の結果としてではなく、ロシアとの合意によって果たした。当時は、この2つの新生国家が武力衝突することなど、誰も夢にも思っていなかった。
ロシアにはウクライナに対して「もう一つのロシア」という概念が長く浸透している。これは、例えば英国とカナダの関係よりもはるかに緊密な関係を示唆している。ウクライナ人とロシア人は互いの国の政情に非常に興味を持っている。このことは例えば、現ウクライナ大統領のゼレンスキー氏に尋ねてみるとよい。彼はよく両大国の政治を風刺して金儲けをしてきた。
しかし、政治・経済の共通空間の創設という概念が、欧州からロシアを締め出すコンセプトにを前にした場合、いかに脆いかはウクライナの例に見事に表れている。2005年の第一次マイダン以降、ウクライナは冷戦時代の雛形に従い、国家イデオロギーのレベルで反ロシア政策を構築してきた。ウクライナにおける反ロシア政策は、西側や国際的なあらゆる種類の組織が支援する民主改革、前向きな変革を装い、社会・政治生活の全ての領域で推し進められてきた。しかし、その民主主義は民主的とは全く相容れない方法によって成立した。そして今日、果たしてウクライナの政治体制は民主主義といえるのかという問いは、かつてないほど重要性を帯びている。
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1991年以降、ウクライナの内部には、反ロシアと、もう一つのロシアとしてのウクライナという、2つの国が存在してきた。一方はロシアを抜きにしては想像もできず、もう片方はロシアとともにある姿など、想像もできない。
ロシアとの統合がウクライナにとって間違いなく都合がいい理由は経済だ。何しろ、これほど巨大な市場と資源がすぐ隣に存在するのだから、それを利用しないどころか阻止するのは、よほど無能な政府しかありえない。ウクライナが新国際分業に組み入ることができたのは偏にウクライナ南東部、つまり大きなロシア語圏の地域の生産のおかげであったことは、先述したとおりだ。これは当然ながら、ウクライナの権力における政治的な表現にも影響を及ぼさずにはいられなかった。第1回、第2回のマイダンの抗議行動はいずれも、ドンバスと非民族主義的な中道政治勢力のリーダーだったヴィクトル・ヤヌコーヴィチ(前ドネツク州知事)に矛先を向けていた。このような勢力は選挙では非常に大きな支持を集めていた。ウクライナは長い間、反ロシアになることを望んでいなかったのである。
第一次マイダンの波に乗って登場したユシチェンコ大統領は反ロシア的政策を行ったために、瞬く間に国民の信頼を失った。その後のウクライナの政治には、興味深い傾向が現れる。第二次マイダン後の大統領選挙はポロシェンコ氏が勝利。彼は一週間以内にロシアと和平を樹立すると約束したが、ミンスク合意の履行を拒否し、次の選挙で惨敗する。その後を継いだヴォロディミル・ゼレンスキー氏もまた、平和を約束したが、戦争の象徴となった。つまり、ウクライナ国民は平和を約束されては、騙され続けている。
ここで、この記事を貫く共通のコンセプトに立ち返ろう。隣国とともに新たな世界を作ると言いながら、戦争も、核戦争でさえもお構いなしに、ひたすら自分の利益を押し通す人がいるとしたら、それは明らかに何も構築しようとはしない人間だ。ウクライナの前大統領のポロシェンコもそう振る舞い、現大統領のゼレンスキーも同じ振る舞いをしたが、こうした行動をとるのは彼らだけではない。NATOの指導部と欧米の多くの政治家もそうだ。
ゼレンスキーは武力衝突を起こす前にあらゆる反体制派を徹底的につぶし、党利党略を押し通した。平和など一切築いていない。ウクライナ政府は法の支配と言論の自由に違反していると叱責されると、反体制派の平和と発展の党は「反逆者とプロパガンダの集まり」だったという答えが返ってきた。この回答に民主主義的な西側諸国は満足したのである。
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現実の状況はそれほど単純でも平坦でもなかった。「反逆者とプロパガンダ」は議会をはじめとして、有権者の大半だけでなく、この国の経済的潜在力の土台も占めていた。つまり、この現実は民主主義だけでなく、市民の福祉にも大きな衝撃を与えた。
ウクライナ南東部の事業はロシアとその利害に大きく結びついているため、この紛争はもはや国内問題の枠を超えてしまった。ロシアは自国の経済的利益だけでなく、世界を前に名誉や尊厳を守る必要性に迫られたが、それは先述したとおり、体系的に否定された。そして、その状況を収めることのできる者も皆無だった。
平和と発展の党は裏切り者とされ、戦争をする政党が政権を掌握した。対立はさらに進み、国の枠を超えて国際的な対立になってしまった。
欧州にはまだ政治は存在しているかと思われたのだが、その政治はこぞってゼレンスキーを支持し、欧州自身を戦争と経済危機に引きずり込んでいる。もはや、欧州がウクライナに政治を説いているのではなく、ウクライナが欧州に対して、憎悪と強権をかざす政策によって経済衰退と貧困をもたらす方法を教えている。そして、もし欧州がこの先も同じ政策を続けるなら、欧州は戦争に、ひょっとすると核戦争に引きずり込まれることになるだろう。
さて、ここで話の始まりに戻ろう。冷戦は、戦争のない新しい世界を構築するという政治的決断によって終了した。そのような世界は構築されなかったこと、現在の世界政治がデタントの出発点に戻っていることは明白だ。こうなると、世界大戦と核戦争に引きずり込まれるか、それともデタントのプロセスを再開して、当事者全員のの利益を考慮するかの2つに1つしかない。しかし、そのためにはロシアに国益があることを政治的に認め、それを新たなデタントを構築する上で考慮しなければならない。そして肝心なことは、フェアプレーであること、誰もだまされないことだ。
ウクライナ紛争は、さらに拡大し、欧州やその他の諸国にまで波及するか、あるいは局地的に留められ、解決されるかのどちらかである。だが、ウクライナで戦争を推す政党が無制限に軍事的ヒステリーをあおりながら君臨する中で、どうやって解決するのだろう。その政党は欧米では拍手喝采で迎えられ、不快な質問をされることもなく、誠意や真実が問われることもない。
しかし、ウクライナの平和党は欧州でも米国でも敬われない。それが西側の民主主義には合わないからだ。これは、欧米の政治家の多くが、ウクライナの平和など望んでいないことを雄弁に物語っている。しかし、それはウクライナ人が平和を望んでおらず、ゼレンスキーが戦勝をもたらすほうが自分たちの命や破壊された家屋よりも重要だということを意味するものではない。
ここで疑問が生じる。平和と市民対話を重んじる政党が、どこかの民主主義にそぐわない場合、それは民主主義なのだろうかということだ。ウクライナ人が自国を救おうとするなら、おそらく西側のハンドラーを排して市民対話を開かねばならない。西側が仕切った場合、結果は有害で破壊的になるからだ。もうひとつのウクライナの視点が重要であり、必要だ。そうでなければ、この悪夢はいつまでたっても終わらない。ウクライナ情勢は破滅的に複雑で危険だ。だが、状況は、ゼレンスキーが毎日言っていることとは全く異なる。
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