「三島は私にとってはバリューの大きな存在です」
「私がはじめに知っていたのはカルト的な作家であり、強烈な個性の持ち主だということだけでした。『豊饒の海』の翻訳には数年を要しました。大がかりな文学作品を手掛けるのは初めてだったこともあります。
以来、三島作品を読むにしろ、訳すにしろ、私はすべての登場人物の中に飛びぬけた才能を持つ人間の特徴を探します。長編小説『豊饒の海』はアズブカ=アチクス出版が選んだのですが、私にとっては作家の名前はバリューが大きかったです。作品はかなり長く、翻訳には5か月近くかかりました」
「自分の訳した本は全部気に入っています」
「当時の評価について語るのは私にはとても難しいです。よその国の違う時代の話ですから。ただ、僭越ながら、あえて推測しますと、当時の読者には時代の生活描写が複雑すぎたり、突飛だったのではないでしょうか。もっと現実に即したものを求めたのかもしれません。
でも、小説が提起したテーマは時代を超越したものです。つまり、自立した人生に踏み出した青年たち。自分の使命、キャリアの探求、幻想の崩壊、才能の重荷、魂の動揺。これらは全て、世界と同じくらい古くから変わらず存在する問題ですが、小説の中の若者たちはなんとか解決したり、または悲劇的に解決できないでいる。そのそれぞれの運命がいたずらに絡み合って表現されています。異なる言語の読者に作品の内容を伝えるには、翻訳者は作家の構想の意味により深く入り込む必要があるのです。だから私は自分が訳した本はみんな好きなのです」
三島の文体をロシア語で伝えるということ
「三島の作品は内容的に複雑です。それは知識に長けた作家が古今の哲学的な教義や潮流から類似例に引用したり、中国の古詩を引いたり、様々な流派の画家の創作を詳細に描写したりしているからです。いわゆる現実をロシア語で伝えるのは難しいことが常で、小説で描かれている当時にはある特徴を持っていたものも、今では違う受け止めかたをされているからです。たとえば、これは私自身にとって発見だったのですが、登場人物のひとり、画家の家には当時はまだ外国製品であった『空気冷却装置』があって、これを今の言葉の『エアコン』と訳したとしたら、おかしなことになってしまうでしょう」
日本語専門家、翻訳者となるまで
「勉強し、教師として働いてきた歳月はきっと翻訳活動の土台となって残り続けるはずです。なんとか言語レベルを引き上げようといろいろ頑張っています」